#5763

認められることについて


空想

昨日の内定報告、ブログ内で記事単独60pvと1コメント、
Twitterでブログ投稿通知とTwitter単独投稿で合わせて26いいね/3RT/5リプライ頂きました。
Twitterはもう長らくログインしていなかったのでスルーされるのも覚悟でつぶやいたのですが、
予想以上に反響を頂けて嬉しいです。本当にありがとうございました。

ピクチャレ大会の運営を通じて、心に深く刻みつけた反省がひとつあります。
それは、他人を原動力に頑張るときは、自分を支持してくれる人のためにこそ頑張るべきということ。

世の中には、どんなに自分が努力しても支持してくれず嫌ってくる人が一定数います。
その理由は様々でしょう。
自分の態度、言動、実績が気に食わないのかもしれない。
自尊心が他人を認めることを邪魔しているのかもしれない。
ただ単に、自分のことなど興味がないだけなのかもしれない。
自分の行動が相手の思い通りになっていないからかもしれない。
自分が頑張っていることと、その人が頑張っていることが競合してしまうがために、
自分が頑張れば頑張るほどその人の邪魔をしてしまっているのかもしれない。
精神的・心理的な理由から「他人を認める」ということが難しい状態にある人なのかもしれない。

あとは、長らくネットに依存してリアルの人間関係をないがしろにしているとそうなるのか、
どうしても他人の話を素直に受け止められず、
茶化したり揚げ足を取ったり重箱の隅をつつくことでしか反応できないコミュ障も一定数いますよね。
これは特に巨大掲示板を見ていると必ず見かける人種です。

とにかく、そういう人は自分を認めたくない何らかの事情があるんです。
その人それぞれの事情に自分が介入することはできません。
今までの自分は、そういう人にこそ認めてほしいと思ってしまったがために、
嫌われてもなお振り返ってもらいたいという欲望に随分と苦しめられてきました。
八方美人でいたい。誰からも尊敬されたい。誰とでも仲良くしたい。
でも、そうする必要はなかったんです。それが全くの無駄な努力だったとは言いませんが、
「人に認めてもらう」という結果を求めるということにおいては非常に非効率だったと思います。
そんな人をわざわざ相手にしなくても、自分を認めてくれる人は周りにいたのに。

自分だって認めたくない相手というのは存在します。
その理由は概ね上に書いた通りですが、特に「嫉妬」という感情が働くときに、
人は他人を認めたがらない習性があるように思います。
嫉妬という感情を完全にコントロールするのは難しいでしょうし、それは自分もまだできません。
自分でもできないことをインターネット上の相手に逐一求めていくのは無理があるでしょう。
だから、認めたくない相手がいるということはある意味仕方のないことです。

今までは、そういうことも含めて「自分が悪いのではないか?」と考えていました。
相手が認めてくれないのは自分の行動に隙があるからだ。カンペキではないからだ。
自分が相手を認められないのは自分の性格的特徴がそういう風にさせているからだ。
でも、現実は違いました。
自分を認めてくれる人と認めてくれない人がいるのは、当たり前だったのです。
それに対して責任を負う必要はなかったんです。
Twitterを辞めてそれに気づいて、ようやく心のわだかまりが溶けたような気がしました。

世の中、あなたがどんなに努力してもそれを嫌う人が2割いる。
あなたにそもそも興味を示さない人が7割いる。
でも、残りの1割はあなたがどんなに失敗してもあなたを認めてくれる人だ。

大学院時代にTwitterで出会ったこの言葉は、今でも至言だと思っています。
1割の人たちとの出会いを大切に、その人たちのためにこそ頑張る。
それは、自分を嫌う2割の人をないがしろにしても良い、ということではない。
けれど、彼らを尊重しすぎる必要もないのでしょう。
自分に何も与えてくれない人のために頑張ったところで、自分が得るものは少ないです。
そんなことより、自分にエネルギーをくれる人のために頑張った方がいいのは明らかです。
世の中、自分のことしか考えられない人は意外と多いです。
もしかしたら自分を嫌う人は2割では済まないのかもしれませんが、
とにかく彼らを避け続けることが、自分のやる気向上に繋がっていくコツなのかなと思います。
そうしてやる気に余裕ができて初めて、
自分は誰かにとっての「1割」になることができるのかもしれません。

そんなことを、ピクチャレ大会を運営していた2010年代後半に学んだ気がします。
それはネットの使い方はもちろんですが、リアルにも多くの影響を与えました。
次に自分が所属するコミュニティでは、この反省を大いに活かしていきたいものです。

コメントを残す