#5781

ゲームの陥没


空想

去年末にも少し書きましたが(#5488『振り返った思い出 2018』2018年12月31日)、
実は今、趣味としてのゲームにかなり限界を感じていて、
一生ものの趣味にできるかどうかはここが正念場であると思っています。

一年の総括記事に書いているくらいだから、去年はその気持ちは強くあったのでしょうが、
去年は『テトリスエフェクト』『フォートナイト』にハマれただけ、
まだマシだったのかもしれません。
今年はどうかと言うと、今のところ購入タイトルが5本ありますが、
自主的に楽しめたタイトルというのが完全に皆無です。
どれもこれも、楽しむためという目的ではない目的のために買い、そして失敗している。

かつて自分にとってのゲームというのは自己顕示欲を満たすためのツールでした。
未成年時代は、家のゲームのほとんどは自分が買うため自分が見定めたゲームに家族が注目する。
ネット時代に突入すると、ゲームのネットワークで実力を競い合い、
自分という存在を誇示しようとする。2005年の『メテオス』がその最盛期だったように思います。
自分がピクミンシリーズというタイトルに17年も執念深く触れ続けたのも、
そういう欲望が根底にあってこそのことです。

しかし今、社会生活数年を経て、
ゲームで自己顕示欲を満たすという段階は完全に卒業してしまったかの観があります。
それは何故かというと、今までにも何度か書いていますが効率が悪いからです。
仕事と違って1円もお金にならない作業に時間と労力をふんだんにつぎ込んだところで、
ゲーム人口の増えた2010年代の今はランキング上位に登れることはほとんどありません。
しかも自己顕示欲(認められたい欲)は、
100点を取ったら次は101点以上を取らなければ満足できなくなるのが最大の難点です。
頑張っても自分という一個人が認められることは少ないし、それで満足できる保証もありません。
それよりも、仕事で認められることの方がよほど簡単だし、有意義です。

結果的に自分自身のゲームのウデはここ5年くらいで致命的に落ちました。
特にアクションゲームの類ではもはや身内に勝てる気がしません。
ゲームへの意欲のなさを自覚するからこそ、手が出ないジャンルというのも出てきています。

ゲームでは自己顕示欲を満たせないことに気づいてしまった今の自分にとって、
残っているゲームの存在意義は身内とのコミュニケーションツールとしての役割を果たすから、
というのが理由としては大きいです。
そこで問題になるのは、ゲームに対する興味が身内と合致しなければ意味がありません。
実は一昨日、『オーバーウォッチ』というFPSのタイトルを実質4,000円くらいで買いました。
自分単独ならおそらく買わなかったであろうタイトルですが、
『フォートナイト』に続いてチームプレイで楽しめるかなと思ったんです。
ところが、タイミング悪く今日になって
『フォートナイト』が今までにない規模の大型アップデートが配信したために、
身内間の興味はそちらに向いてしまい、オーバーウォッチはネガキャンされるに至りました。
こうなるともうダメなんですよね。
今までの経験から言って、購入直後に楽しむ理由を失ったゲームは大抵ハマれません。
どんな理由でも出鼻を挫かれてしまうと、
次に「やってみようかな」と思うまでにものすごい時間を要することになります。
それだけゲームというのは最初の印象が大事みたいなんです。

そして今自分がもっとも危惧しているのは、
一人暮らしを再開したときに、果たしてゲームという娯楽に触れる理由は残るのかということ。
ゲームでコミュニケーションを取る必要のある相手がいなくなったら、
果たして自分がそれでもゲームをする理由はあるのか?
大学・大学院時代の購入タイトルをざっと振り返ってみると、
パッケージタイトルのほとんどは帰省中に買うか、帰省のために買っているんですよね。
一人暮らし中に楽しむために買ったタイトルは
2012年の『ポップンミュージックポータブル』『とびだせどうぶつの森』くらいです。
あとはArt Styleシリーズなどのダウンロード専売の小さなタイトル。

一年の3分の1を実家で過ごせる上に一人暮らし中もイージーな地方での大学生活と、
東京での社会人生活を単純に同一視することはできませんが、
しかし過去六年の一人暮らし経験を照らし合わせると、
このままいくと自分は来年以降、帰省しない限りはゲームを遊ばなくなる可能性が大です。
しかも学生時代と違ってひんぱんに帰省するわけにもいきません。
こうなるともう、ゲームという趣味を存続できるかどうか怪しくなってきます。

ゲームが自己顕示欲の発散先としては不適切であることに気付いてしまったこと、
そしてコミュニケーションツールとしてのゲームも一人暮らし開始によって役割を断たれること。
これが今、自分にとって1994年から続けてきたゲームという趣味を失うか否かという
正念場にいると感じている主な理由です。

それでもぱったりとゲームを辞めてしまうとも思っていませんけどね。
万が一東京でゲーム仲間ができればそれがゲームを続ける理由になるだろうし、
どうぶつの森シリーズのように、
一人暮らしだからこそ楽しめるタイトルというのも今後リリースされてくるはず。
そういうところまで切り捨てるつもりはありません。
ただ従来のようなゲームとの向き合い方はもう限界かなと思っているだけです。

それ以外の方向性としては、今後はゲームという娯楽も、
漫画やアニメや映画と同じような娯楽として消化していくことになるのかもなと。
今まではそうではありませんでした。
ゲームというものを生活の第一に据えてきたからこそ、
ゲームに対するプライドというものが漫画やアニメと同列に扱うことを拒んできました。
そうじゃない、ゲームというのは自分が輝くための舞台なのだと。
でも、どうやらそうでもないらしいということに気づけた今、
ようやくアニメや映画と同じ目線でゲームという娯楽を消費できる可能性はあります。
あんまり軽く見過ぎると積みゲーがさらに増えそうな予感もしますが……。

何はともあれ、今後は自分を楽しませてくれるタイトルが出てくれるものと信じて、
ゲーム業界をもう少し見守りつつ、ゲームとの距離感を適切に保っていきたいところです。

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