#5793

自助努力と相互扶助


今日の出来事

04時就寝13時半起床。
今日から睡眠記録はiPhone純正『時計』アプリではなく、
『Sleep Cycle』という睡眠記録専用のアプリを使うことにしました。
これによって、今まで時計アプリでは
「就寝目標時間」と「起床目標時間」の記録に過ぎなかったのに対して、
実際に就寝した時間と入眠したおおよその時間、覚醒・起床した時間を記録するようになりました。
時計アプリはあくまで「目標時間」なので、
アラームを前の日のままにしておくと記録される起床時間は毎回同じになります。
会社勤めしているうちはこれで問題なかったのですが、
今年度に入って目標起床時間を逸脱することが当たり前になってしまっていたので、
時計アプリによる記録が実質形骸化してしまっていました。
今回はそれを解消することを目的としつつ、
ついでにスマートフォン単体での睡眠トラッキングを試す意味でも使ってみることにしました。
これで問題なければスマートウォッチは買う必要はなくなるのですが、果たして……。
ちなみに今日は睡眠の質スコアは「98%」と出ました。
確かに自分にしてはぐっすり眠れた方ではあるのですが、本当にこれ正しいのか……?
まぁでも、正確性はともかく睡眠の質を数値化できるのはいいですね。

起床後は東京暮らしが始まったときのために、
新生活圏内の時刻表をEvernoteにインポートする作業などをしたのち、
仕事で使うネットブックのために買ってきたマウスをセットアップする作業などをしてから、
駅まで歩くべく外出しました。駅まで歩くとおおよそ1時間ちょいかかります。
散歩にしては長距離すぎるのは承知していましたが、
昨日15時に起きたのに対して今日は1時間半前倒しできているので、
生活リズム改善まであとひと踏ん張りということで頑張ってみることにしました。
これで今夜03時くらいまでに眠れて、なおかつ睡眠時間8時間以下にできれば上出来です。

駅に到着後、『Berry Day’s Cafe』というカフェに入ってカフェラテを注文し、
18時までの時間を本を読んで過ごしていました。
そして18時は、店内にいながら『ポケモンGO』のダークライのレイドバトルに参加。
今日を逃すともう手に入らなそうだったのでいちおう捕まえておきました。
退店後、レイドパスが余っていたのでもう1匹捕まえてふしぎのアメを稼ぎ、バスターミナルへ。
帰りはさすがに歩きはしんどいのでバスで帰りました。

その際に少し考えさせられる出来事があったのでメモしておきます。
自分と同時に乗った乗客の中に、おそらく70歳は超えているであろうおばあちゃんが乗ったのですが、
その携行品がとんでもない量でした。
背中にはリュックを背負い、右手にはスイカほどの大きさの手荷物。
左手には小型のスーツケースに、そこからぶら下がった満タンに入った紙袋。
さらに荷物を押して歩くためのキャリアも担いでいました。
とても小柄な老人で、その体格はもはや荷物の総体積よりも小さいのではないかと思うほど。
当然、乗車には大変な手間がかかりました。
行列ができる中、自力ではとても階段を上れないのに無理に上ろうとして数分ロスし、
あげくバスターミナルのスタッフが駆けつけてようやく乗車。
降車する際も、大変な苦労をするに違いありません。乗務員が助けてくれるのか、
近くにいるお客さんが助けるのか知りませんが、誰かしらの手は借りないと無理だと思います。

事情も何もしらない側からしてみれば、とんでもなく迷惑な客でしかありません。
自分のキャパシティを超えた量の荷物を持ち歩く非常識。
そのうえ、他人に迷惑をかけることを承知でバスを利用しようとする非常識。
荷物を家族に持ってもらうとか、そもそも荷物を減らすとか、タクシーを使うとか、
他にいろいろやり方はあるはずなのに、何故他人に迷惑をかけてまで非合理な方法を選ぶのか。

世の中は助け合いによって成り立っているのかもしれないけれど、
その前提条件として、各個人ができるだけ迷惑をかけないように努力はするべきであって、
それでもどうにもならないことに関しては他人に助けを求めていいと思うんですよね。
助け合いに依存することを良しとしてしまったら、
助けられる人は努力することを忘れ、その分他の誰かが余分に努力しなければならなくなります。

助けられる人だけがただ一方的に利益を享受するようになったら、
この国は確実に若者や社会人など絶対的に「余力」のある人の方が少なくなっていくのですから、
長い目で見て助ける側の負担がますます増えていくことは間違いありません。

だからこそ、老人や障害者や貧乏人といった社会的弱者も、
助けられる前に自分なりに最善を尽くす自助努力の姿勢が必要不可欠なのではないかと思うわけです。
相互扶助の精神は、一方的に誰かが誰かを助けているだけでは育ちようがありません。
老人や障害者や貧乏人をどうするかということばかりに囚われて、
助ける側が一方的にどんどん消耗してしまっているというのが現状だと思うんですよね。

これは何も老人と若者という構図だけではありません。
サービスを提供する側とされる側についても言えると思います。
自分たちは、世の中のサービスがあまりにも発達しているためにそれに甘えている節がある。
客として最善を尽くす前に、責任をサービス側に投げてしまう人が多いというか。
サービスが発展するほどクレーマーが過激になっているのがその証拠じゃないでしょうか。
この辺はなんというか今の時代特有の価値観なのかなと思います。昭和はもっと違ったのかも。

とにかく、社会に助けを求める前に自分なりに可能な限りの努力をするべきだということは、
これから都内で生活するにあたって持っておくべき覚悟なのではないかということを、
荷物を抱えた老人を見て思った次第です。

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