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発達障害との向き合い方


備忘録

岩波明『誤解だらけの発達障害』(宝島社新書、2019年)を読みました。

ここ十年くらいで頻繁に世間の前に出現するようになった「発達障害(神経発達障害)」という言葉。
主に空気の読めない変わった人やいわゆるコミュ障を指す言葉として、
近年は特にネット界隈において急速に差別用語として広まってきたように思います。

発達障害について調べてみて、「自分も当てはまるのではないか」
と不安になった人も多いのではないでしょうか。
何しろ発達障害の特徴というのは、どんな人にもある程度は当てはまるようになっています。
では、発達障害とそうでない人(これを「定型発達」と呼ぶ)の違いは何なのか。

本書は、そんな発達障害について一般向けに分かりやすく概要を解説した本です。
ただし、本書では数ある発達障害の中でも
「自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder、ASD)」と、
「注意欠陥多動性障害(Attention-Deficit Hyperactivity Disorder、ADHD)」
に焦点があてられたものになっており、その他の学習障害といった発達障害への言及は少なめです。

ちなみに、ネットでよく見られるアスペ(アスペルガー症候群)というのは
2019年現在ではもう古い病名であり、現在は上記のASDに統合されています。
アスペルガー症候群というのは今は自閉症スペクトラム障害に含まれるものと考えてよいでしょう。

*  *  *

最近発達障害が注目されるようになってきた背景としては、
高度情報化や国際化により、社会的な公平さ(コンプライアンス)が重視されるようになったことで、
発達障害の人が適応しにくい社会になりつつあるということを著者は指摘しています。
発達障害そのものが近年になって急激に増えてきたというよりは、
社会の構造が変わったために発達障害が浮かび上がりやすくなり、
またマスコミの注目によって
「自分も発達障害なのではないか」と思い診断を受ける人が急増したことも要因として挙げています。

では、そもそも発達障害というのは何なのか。
専門家によって意見が多少異なりますが、
ざっくり言えば「脳の特定部位のある特徴によって出生時から持つその人の特性によって、
社会的に生きづらさを感じている状態
」を指します。

発達障害そのものはその人が生まれ持っている「特性」であり、厳密には「病気」ではありません。
なので「治療」という概念は存在しません。
精神科・心療内科で行われている治療に相当する行為は、
あくまでもその人が少しでもこの社会で生きやすくなるために手助けをしているものであって、
発達障害そのものを治そうとしているのではありません。
発達障害として生まれたら、一生発達障害として生きていくしかないのです。

発達障害になる原因については分かっていませんが、
遺伝的要因と、環境的要因が組み合わさりある条件を満たしたときに発症することが分かっています。
つまり、遺伝だけでは発症しないし、また環境的要因だけでも発症しないのです。
また、ここでの環境的要因としては出生前(母親の妊娠中)のことを指しており、
生まれてから発症するということはないと考えられています。

今のところ環境的要因としては、
抗てんかん薬に含まれる薬品が発達障害のリスクを増大させることが分かっています。
母親の栄養不足、メタボ、ストレス、喫煙、カフェインの摂取、アルコールの摂取なども
発達障害のリスクファクターになると考えられていますが、
まだ現段階では仮説の域であり、それを明確に裏付ける研究はありません。
一方、妊娠時に父親が高齢だと発達障害になる確率が高くなるということは言われています。

発達障害にはさまざまな種類がありますが、主に次のようなものがあります。
コミュニケーション能力の障害、こだわりの強さ等を特徴とする「自閉症スペクトラム障害」。
注意力・集中力の欠陥、片付けができない、約束を守れない等を特徴とする「注意欠陥多動性障害」。
知能に問題はないのに文字の読み書き、算数などができない「学習障害」。

「コミュニケーション能力の障害」というのは、
相手の仕草、表情等から相手の心情を察することができなかったり、
いわゆる「場の空気」を読み取ることができない障害を指します。
なのでASDは他者と協調することが難しく、友だちがなかなかできないことが珍しくありません。
ネットで差別的に「発達障害」という言葉を使うときはほぼこれを指しているように思います。
ちなみに対人恐怖症とは区別されるので、ASD=対人恐怖症ではないし、
定型発達の人でも対人恐怖症になることはあり得ます。
コミュ障=発達障害と安易に結びつけるのは誤りです。

また、ADHDにおいてもコミュニケーション能力の欠陥というのはあり、
思ったことをそのまま言ってしまうため信頼関係を築きにくいというのがあります。
ASDが孤独を好み他者との関係を築こうとしない傾向にあるのに対して、
ADHDは他者との関係は希求するものの、生まれ持った特徴によってそれが上手くいかない、
といった傾向の違いがありますが、
いずれにしてもコミュニケーション能力の障害というのは発達障害の大きな特徴です。

「こだわりの強さ」というのは、
食事をするときにどういう順番で食べるかといった
自分なりのルールを強固に守る傾向がある状態のことを指します。
この状態では規則正しいものを好むので、電車の路線図、時刻表などを好む傾向があります。

発達障害に見られる他の特徴としてはこんなものがあります。
繰り返しになりますが、これらに当てはまるからといって直ちに発達障害というわけではありません。
これら特徴によって社会生活が困難になることで初めて「障害」と認められます。

  • 睡眠障害に陥りやすい
  • 虐待/いじめの被害者になりやすい
  • 自己否定的になりやすい(発達障害を理解されない家庭環境などを原因とする)
  • ゲーム/ネット/薬物/アルコール等に依存しやすい
  • 性別違和(例えば、生物学的には男だけど自分は女であると思い込むこと。ホモ/レズとは異なる)
  • 非行に走りやすい(非行少年の3割は発達障害という研究もある)
  • 肥満になりやすい
  • アレルギー症状を持ちやすい

特に虐待は深刻な問題であり、もともと軽度な発達障害であっても、
虐待によって症状が重篤化することが研究によって報告されています。
上述の通り、発達障害は生まれ持った特徴であり、家庭環境によって発症することはありません。
しかし、その後その人が社会に適応できるかどうかは家庭環境に大きく左右されるところがあります。

また、発達障害の多くは学校社会で他の人と同じように行動できないために悪目立ちしてしまい、
その結果いじめられるという事例が非常に多く、
いじめられたことによって自己否定感に苛まれるケースは珍しくありません。

著者は、虐待にせよいじめにせよ、
まずは発達障害者本人が「自己肯定感」を獲得することが重要であると述べています。
そのためにはやはり、周囲の理解が欠かせませんし、
その前にまず本人が発達障害を含む自分の特性を理解し受け入れることが肝要です。

このように悪い面ばかりがピックアップされがちな発達障害ですが、
発達障害には定型発達が持っていないような良い面もいくつか持っていることが分かっています。
その代表的なものが、記憶力。特にASDにおいては映像記憶力に優れていると言われており、
何十年も前の風景を昨日の出来事のように覚えていたり、
円周率を何十桁、何百桁と覚えていられたりします。これをサヴァン症候群といいます。

またADHDは独特なアイデアの表出が得意であることが多かったり、
数字と色といった一見関係ないものを結びつける
「共感覚(シネステジア)」という特殊能力を持っていることも多いため、
芸術家に向いていると言われており、
『不思議の国のアリス』で有名なルイス・キャロルなどは発達障害だったと言われています。

ASDにおいては、全体よりも細かいところに気が利くという特徴を持っているので、
細部に気を配らなければならない仕事は向いていると言えます。
また、同じ事を繰り返すのに苦痛を感じない傾向があるので、
コツコツと地味な作業を積み上げていくのも得意です。

精神医療が進んでいる海外においては、発達障害の症状を投薬によって軽減したり、
脳をスキャンして磁力で刺激を与えることで矯正する治療法、
またテレビゲームを使って脳の活動を活発化させるといった方法が試されています。
日本においてはADHDの投薬治療は始まっていますが、
ASDについてはまだ認可された治療薬は存在しません。

*  *  *

以上、発達障害というデリケートな問題について紹介した本の紹介でした。
自分が発達障害なのかどうかということについては、ブログでは言及を避けようと思っています。
よくある特徴に「睡眠障害」が挙げられているのでドキッとするところではありますが、
だからといって安易に発達障害であることを認めたところでどうしようもないし、
クズであることを障害のせいにするのは間違っていると思うからです。

ADHDのよくある特徴である「約束を守れない」というのは、
当事者以外には理解されにくいところで、それが本当に脳機能による障害なのか、
本人が単なるクズで無自覚に約束を守っていないだけなのかは客観的には分かりません。
でも、だからといって「ADHDだから約束を守れなくても許されて然るべき」
と主張するのは間違っていると自分は思います。
ADHDの人たちは、常にメモ帳を持ち歩き定期的に読み返す等の方策によって
それぞれが自分なりに障害を乗り越えようと努力しています。

自分の特性が障壁になることは、発達障害かどうかに関わらず誰もが直面することです。
誰でも得意なこと、不得意なことがあるのは当然のことです。
重要なのはそれをいかに自分なりに乗り越えるかというところであって、
障害として認められるかどうかということではないと自分は思います。

そもそも「発達障害」という言葉があまり好きではないですね。
治療不可能な本人の生まれ持つ「特性」なら、なぜ今世界はそれを治療する方向に動いているのか。
それを「治療」することはその人の特性や個性を否定することになるのではないか。
これは結局のところ定型発達中心の社会を作ってしまったことに原因があって、
社会が発達障害を受け入れていない証左だと思うんですよね。
変わるべきなのは発達障害者ではなくて、社会の方なのではないかと思うわけです。
もちろん、発達障害の特性を理解して本人がより生きやすくための研究が無駄だとは言いませんが、
それよりも優先することってあるんじゃないかなぁと。

でも、これはとっても難しい問題です。
自分も、もし子どもを授かってそれが発達障害だったら、受け入れられる自信はまだありません。
発達障害の問題で一番の壁になるのは本人が自覚しそれを乗り越えようとすることよりも、
周囲が発達障害者を受け入れることにあると思います。

発達障害の問題は、2010年代という現代だからこそ存在する問題だと思います。
遠い将来はもしかすると脳科学がさらに進歩して発達障害そのものがなくなっているかもしれないし、
あるいは社会の構造がガラリと変わって生きづらさを抱える人が激減しているのかもしれません。
こうして考えると、現代も相当進歩してきたと思ってきたけれど、
多種多様な人を受け入れる理想の社会にはまだまだ遠いんだなと思わされます。

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