#5855

振り返った思い出 2019-b


独り言

「2019年を組み立てる」。
2019年になって間もない頃、カウントダウンライブの余興を聴きながらふと思いついた。
積み上げるのではない、組み立てるのだ。
そのときは何故このフレーズを思いついたのか、うまく説明できなかった。
しかし今にして思えば、2019年は、2019年を組み立てることに終始した一年だった。

2018年までの自分の価値観にとっては、一年というのは積み上げるものだった。
あるときは塔の頂上、またあるときは遠路はるばる来たその末端。
僕という人間は、過去を積み重ねてできている。そういう確信があった。
過去があるから今がある。それはそれでひとつの事実だろう。
しかし、過去と今を同価値に扱うかぎり、
今という価値は過去を積み重ねれば積み重ねるほど小さくなってしまう。

人生は「今」が作っていくものだ。
「今」を尊重できなければ人生はますます先細ってしまう。
この問題に突き当たって、ついに解決できなかったのがここ数年のことである。
2016年、2017年、2018年と、「今」を掴んだようで掴みきることはできなかった。
時間は自分という個人がどう足掻いたところで待ってはくれない。
それは常に濁流のようにうねりながら、足下を通り過ぎていく。
人生というのは、何も考えなければ濁流に翻弄されるだけで過ぎ去っていってしまう。

「積み上げる」という言葉は、
どんなに今を磨き上げたところで過去の黒い部分を否定できない呪いがかけられているけれども、
「組み立てる」という言葉は、
過去というパーツを如何に使って「今」を組み立てるかということに焦点が当てられている。
使わないパーツがあってもいいのである。2019年は、そこに光明があった。

元日には敢えて書かなかったけれども、今年やるべきことは明白だった。
自立すること。それだけである。
今思えば、大きな決断には膨大な努力や苦労が必要だというのは、まったくの幻想だった。
自立することは、どれだけ大層なことなのだろうと思っていたけれども、
実現してみれば何のことはない、いつも通りの自分がそこにはいた。

そして僕は、車に乗れるようになった。東京暮らしが実現した。
趣味に基づいた仕事に就くことができた。抑うつ症状を克服した。
絵文字を使うようになった。カフェに行くようになった。新しい友だちができた。

2018年以前の自分からしてみれば信じられないような奇跡の集大成である。
2019年現在の自分も、ただ会社と家を往復するだけだった2018年以前の生活が信じられない。
人は、変わりたいと思えばあっさり変われるのだということを知った。

本当はもちろん不安だった。
憧れという理由だけで東京に行っていいのだろうか。
趣味でやってきたからという理由だけでこの職業を選んでいいのだろうか。
自立するためという大義名分だけで、自分なんかが自由に生きる権利はあるのだろうか。
巣を立つヒナドリは不格好ながらも大空に羽ばたき、そこで初めて世界の広さを知る。
そして同時に、親元を離れてみて初めて思い知らされるのである。
自分も人並みに生きる権利があるということを。
少なくとも、東京という場所は僕にそれを教えてくれるだけのロマンはあった。

リア充になれなかったら人生は不幸だなんて誰が言ったんだ。
コミュ障は幸せになれないなんて誰が言った。
そうだ、僕の生きる目的は、自分が生きていて楽しいと思える瞬間のためにあったのだ。
楽しいと思える日々がどこかにあると信じているから、生きるための努力をやめずに済んでいる。
どんなに「期待」や「願望」が僕を裏切っても、それだけは泰然とそこにある。
それが希望でなくてなんなのだろう。

自分というものを把握し、制御し、ときには利用し、より良い方向へと向かっていく。
自分とは何かということについて思いを馳せる時代はもう終わった。
強いて言えばそれが2010年代という十年間だったと思う。
自己顕示欲が悪いとか、慢心が悪いといった独善的な判断はそろそろ卒業しなくてはならない。
欲望に右往左往させられているかぎりは、自分を制御していることにならないからである。
自己顕示欲に溺れるときは、それなりに理由があり、背景がある。
他人の背景をうかがい知ることは難しいが、自分自身のことならそれは不可能ではない。
しかしそのためには、自分というものを否定せずに向き合う必要がある。

他人を、世界を愛するよりも前にまず自分を愛することができなければ、
その手から生み出すものを心から信じることができない。
その目に映るものを信頼することができない。

2019年がもうすぐ終わる。平成と令和の節目、そして2010年代の最後だった2019年が終わる。
これまで一年をかけて組み上げてきた「何か」は、
果たして2020年の自分に誇れるものになっただろうか。

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