#5861

干涸らびていく情報流動


文化

ポケモン発売直後の一部期間を除けば
ほぼ9ヶ月見ていなかったTwitterを解禁して数日経ちましたが、
それなりに情報収集に時間を割いた割には有益な情報がちっとも流れてこなくて、
なんだかなー、という気分になっています。さて、何が悪いのか。

これ、フォロワーさんにめっちゃ失礼なのでフォロワーさんには読んで欲しくないのですが、
ぶっちゃけ自分は、「起きた」「飯食った」「風呂った」「ゲームする」「そろそろ寝る」
といった他人の日常的つぶやきを見ることに、何の価値も感じません。きわめて無益です。
例えば恋人がいたとして、その人からLINEで「今ご飯食べた」と言われても、
それでも無益だと思うので、Twitterフォロワー程度の関係では無益にしてはあまりにも無益すぎます。
せめてごはんの写真をアップするとか、何か意味のある情報が付随しているとか、
会話していて「今からご飯食べるからまた後で」と言うのなら分かりますが、
何の脈絡もなく「今からご飯食べる」と言うのに何の意味があるのか。まったく分かりません。
LINEのグループチャットみたいに知人と話している感覚なんでしょうか?

15年日記系ブログを運営しているお前が何を言うんだと言われてしまいそうですが、
ブログは訪問されない限り上がられることのない「家」であるのに対して、
Twitterは他人との距離が極めて近い「公園」や「スクランブル交差点」のような存在です。
そんな場所を日記代わりに使おうとするのは、ある種の露出狂的な狂気さえ感じます。
ふつう、そこまで日常を他人に見て欲しいと思うだろうか?

もちろん、Twitterはマイクロブログであり使い方は定義されていません。
なので日記的な使い方をする人は間違っているとか、そんなことを言うつもりはありません。
ともすれば今のご時世、ブログを日記的に使っている自分も同類だと言われかねないので
(2005年頃はこういう日記系ブログこそがブログの主な使われ方だったのですが……)、
Twitterで「起きた」とつぶやく人を無条件にディスると、ブーメランが自分に刺さってしまいます。
そもそも「ほかった」という言葉がまだ死語ではなかった時代、
自分もそのワードを使っていた記憶があるので、まったく他人事ではありません。

「勝手にフォローして他人の生活を覗いているのはお前なんだから、嫌なら見なければいい」
これがTwitterという世界における暗黙の了解です。
だから、日記的つぶやきをしている人は、
日記的つぶやきをすることをフォロワーに許されていると思いがちです。
だって不快だと思ったらリムればいいんですから。

でも、それもそれですごく勝手なことだと思うんです。
リムーブというのはいわば絶縁であり、心情的にそう簡単にできるものではありません。
それを重々承知しながら「嫌ならリムれば?」と迫る人は非常に悪徳だと思います。
以前、フォロワーさんの中に、突然すごく背徳的なことをつぶやきだした人がいました。
そしてしばらく間を置いて、こんなことをつぶやいたのです。
「こんなツイートしてるのにリムブロされないのおかしいでしょ」

まぁ、かまってちゃんによくある行動ですよね。
「誰も私のことを構ってくれないならグレちゃうけどいいの?」みたいなノリだと思います。
これはいわばフォロー関係を人質に取って自己顕示欲を満たそうとしているに過ぎません。
価値観の押しつけでもあり、とても卑怯な言動だと自分は思います。
彼に限らず、「気に入らなかったらリムーブして」とプロフィール欄に書き、
フォロー関係の価値観を一方的に決めつけているアカウントは意外と少なくありません。
また、Twitterでトラブったことのある自分だから分かりますが、
気軽にフォローできてしまうTwitterにおいては、
「相互フォロー=お互いに認め合っている」というのは完全な思い込みであり、
むしろ相互フォローだからこそ裏ではいがみ合っているということが往々にしてあります。
自分も、フォロワーのうち何人に嫌われているかは分かりません。
考えたくないですが893人もいればゼロ人ということはあり得ないと思っています。

Twitterの中には上述の彼らのように、
「フォロワー=私のつぶやく内容を無条件に許してくれる人」と勘違いしている人が一定数います。
ついでに、かつての自分のように
ただただ自己顕示欲に餓えてTwitterにその欲望を排泄しているだけの人も一定数います。
しかしフォロワーが自分の何を期待してフォローしてくれたのか、当人には知る由はありません。
そこにすれ違い、行き違いが発生する余地があります。これはとても怖いことです。
だからこそ自分は、Twitterにおいては
なるべく他人に有益な情報をアウトプットあるいは拡散することを目指すべきだと思うんです。
日記的な情報発信はブログで十分なのではないでしょうか。
黎明期のTwitterはみんなフォロワー数を増やしたいので有益な情報を流す風潮はありましたが、
もうフォロー数が固定されて新しい交流を求めなくなってしまった今は、
なるべく有益な情報をタイムラインに流そうと努力する人はほとんど見られないように思います。
いつの間にか「ツイ廃」という言葉も死語になりました。

もちろん、そういう人がゼロになったわけではありません。
一部のインフルエンサーは相変わらずそれなりの影響力を持っているし、
企業アカウントも健在です。Twitterそのものが骨抜きにされたわけではありません。
この点は、完全に骨抜きになってしまった某巨大掲示板とは違う部分です。
その代わり、一般アカウントは相当に陳腐化してしまったというのが
9ヶ月ぶりにタイムラインを見て率直に思ったことです。

もちろん、自分のこの「フォロワーにはなるべく有益な情報を発信・拡散してほしい」
という主張もまた、相手に対する思慮が欠けた独善的な主張であることは否定する余地がありません。
なぜなら自分にフォローされている人は、
何も自分のニーズに応えようとしてつぶやいているわけではないでしょうから。
しかし何も自分は、絶対正しいことを言おうとしているわけではないのです。
現実問題として、フォロー数が1,000人もいるとタイムラインは相当にカオスになるので、
誰がどういう傾向のつぶやきをしているのかを把握するのは至難の業です。
そこで日記的つぶやきをする人が悪目立ちしてしまうという問題もあります。
Twitterも12年目にもなると、
かつてはよく交流して有益な情報を流してくれていた人も、
今では交流がなくなって無益な情報をだらだら流すだけに留まっている人もいます。
それはそれで大切な縁だと思う一方、
やはりTwitterでは交流よりも有益な情報が欲しいと思う自分もいるわけで、
この辺はもうこちら側のニーズの変化と考えるしかないのかなと。フォロワーさんは悪くない。

アカウントの作り直しも散々検討しましたが、決断できずに今に至ります。
今のところ残っている道は、本当に有益な情報をつぶやく人だけを集めたリストを作って、
情報収集という個人的なニーズはそのリストによって満たし、
同時に既存の縁も切らないことでTwitterアカウントの名目を保つというのが無難でしょうか。
Twitterを再開すればただちに有益な情報収集ができると思っていた自分の目論見は、
かなり浅はかだったということは認めざるを得ません。

この辺は、Twitterを「半匿名で行う情報交換所」と割り切っているか、
あるいは「信頼できる人と会話するためのコミュニケーションツール」と考えているかで
考え方がまったく変わってくるような気がします。
自分も黎明期は後者を目指していましたが、あるときからそれは諦めてしまいました。
ひとりずつの交流よりもフォロー数を増やしていった方が当時は楽しかったし、
やはり当初は情報収集ツールとしてはかなり強力だったからです。
それが世の流れでもあったと思います。
それに信頼している人とのコミュニケーションにはTwitterより有用なツールがたくさんあります。
そもそもTwitterはSNSではないですし。

しかしもし、コミュニケーションツールと割り切って
信頼できるフォロワーさんとの交流にチカラを入れていたとしたら、
きっと見えてくる景色も違っていたのだろうとは思います。
信頼している相手が情報強者であろうとなかろうと、その人が共有する情報は意味を帯びるからです。
自分勝手にTwitter活動を休止した自分には、到底見えそうにない景色ですね。

まぁ、そういうわけで自分のニーズをTwitterがすぐに満たしてくれるかは微妙なところですが、
かといってこのままインターネット仙人になるのも虚しいので、もう少し模索してみようと思います。

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