#5967

荒波の話


独り言

会社の将来性、自分の精神力、自立の必要性、そして趣味を仕事にする覚悟と、都会への憧れ。
そういった諸々の事情を考慮した結果、六年目を迎える直前に地元の会社を退職した。

まったくの無経験から転職活動をするには心許なかったので、
お金ももらえてスキルアップでき、就職活動を斡旋してくれるという職業訓練校に入った。
そこでは自分と同じく都会に憧れているという人とも出会った。
今まで夢物語だったはずの上京が、選択できる未来になっていった。

訓練校をトップの成績で卒業し、
貯金を切り崩して東京と地元の間を往復しながら転職活動が始まった。
一社目は書類審査で落ちた。二社目は応募の段階で「まず面接しましょう」と言われ、
いきなり東京に行くことになった。あとで知ったことだが、面接官は社長だった。
本来なら一次面接で人事部と話すはずだったのが、何故かそのステップを飛ばされることになった。

職業訓練校で作った実績(これを業界ではポートフォリオという)だけだったら、
きっとこの二社目も落ちていたのだろうと思う。
ところが、ひょんなことから社長にプライベートの実績も見てもらうことになった。
ピクチャレ大会にあれほど感心されなかったら、僕はこの会社に落ちていただろう。

今は人気業種のため倍率は20倍、メンタルに難がある人は全員落としている。
そう言われていたにもかかわらず、数日後その二社目に受かってしまう。
こうして僕は7年間の実家暮らしとようやく決別することになる。
我が家の猫たちと別れるのはあまりにも辛かったが、新幹線があるかぎりは故郷はさほど遠くない。
それよりも僕は、この家族の未来のために先陣切って自立する必要があった。
そのことに紛れなどなく、上京したことに後悔はない。これは今も確信している。

紆余曲折を経て、11月27日に多摩地域の駅徒歩7分のマンションに引っ越した。
これからは20分電車に乗れば、都心にいつでも行くことができる。
ようやく開かれた未来に胸がわくわくした。やっと僕は東京都民になれたのだ。

12月02日に入社し、まずはフロントエンドの研修を受けることになった。
二週間くらいかかると言われていた課題だったが内容は簡単で、
その気になれば一日で攻略できそうだったが、ペースをあえて落として2日かけることにした。
3日目、早くもバックエンドの研修に移ることになった。
基礎研修の初期段階は笑っちゃいそうなほど簡単な課題だったが、
テキストのどこにも書いていない教官独自の「俺ルール」に躓き、ペースは芳しくなかった。

それでも3ヶ月目には同期の中で最速で基礎研修を終え、応用研修に突入する。
応用研修もピクチャレ大会の制作に比べればレベルは低いものだったが、
動けばそれで許される個人制作ではなく、
教官の目敏いチェックを通過するコードを書くのは随分と骨が折れた。
応用研修の途中で教官と一緒に食事をすることになり、そこで今後のことをいくつか聞かれた。
僕は当時感心のあったプログラミング言語であるPythonなどの習得を目標に挙げ、
PHP一筋でやっていくつもりはないというアピールをした。
このときの僕はまだ随分と意識が高かったように思う。
このころすでに新型コロナウイルスは国内に上陸していたが、
マスコミの感心はまだまだ武漢市が中心で、日本は水際対策をしていたところだった。
初めて経験した倉庫内のアルバイトでは、膨大な数のマスクを運搬した。
いつか日本でもパンデミックが起きるだろうとは思ったが、その実感はまだなかった。

3ヶ月と少しで応用研修もついにゴールに辿り着いた。
規定の期間は5営業日過ぎてしまったが、そもそも6ヶ月経ってもクリアできない人がいるなかで、
規定期間内でクリアできる人は過去200人のうち数えるほどしかいないらしく、
特に延長体質になっていた近年の中では自分は最速らしかった。
ようやく練習が終わり、自分でも難しい客先常駐が始まる。ここからが本番だ。

このころ、新型コロナウイルスはいよいよ東京都内に拡散し始めた。
行き交う人のほぼ全員がマスクをしているという異様な光景。
上流企業はすでにテレワークを導入し、パンデミックの中心はヨーロッパに移行した。
株は連日下がり、経済は未曾有の大不況に突入する。

この会社では、10人の営業担当がエンジニアに合った客先を探してきてくれる。
マッチングした会社があればその会社と契約するという運びになっていた。
そして、そのマッチングに使うのが書類審査にも使うスキルシートというものだ。
これは僕自身の経歴が、スキルを中心に記述された業界専用の履歴書のようなもので、
入社の際に提出した履歴書に基づいて、会社が作ることになっている。

応用研修を終えた僕はまず営業部の代表から説明を受けることになった。
そこで初めて自分のスキルシートの素案を渡され、僕は愕然とした。
IT会社→職業訓練校→当社という経歴の流れは間違っていないが、
前の会社には実際には5年いたのに、3年半しかいたことになっていなかったからだ。
その代わり、今の会社には1年半いたことになっている。

3ヶ月間の研修でやったことを、本物の制作会社で1年半かけてやっていたことにする、
というのがこの会社の暗黙のルールらしかった。
つまり、経歴に嘘をつくことになる。これがSESという業態の実態なのか。僕は随分失望した。
1年半の経験者として入れば、期待に沿えないことは分かりきっている。
現場ではすぐに役立たずの烙印を押されることは容易に想像できた。

代表との話が終わり、後日自分の営業担当と話すことになった。
彼は10歳近く年上の、自分より後に入った中国人だった。とはいえ当然日本語は流暢である。
自分と現場の橋渡しをする営業担当が外国人というのは少なからず不安があった。
そしてその不安は的中することになる。

彼はさっそく自分の足で取ってきたいくつかの案件を僕に紹介した。
ロボットの開発案件、銀行のシステム基盤改築、ゼネコン大手でのPMO(要するにリーダー職)。
なにかがおかしいと僕は思った。この人はWeb関係の案件を紹介する気がない。
この会社がどんな会社で自分がどういう人間なのかを分かっていないのだろうか?
話していくうちに分かったのは、この人はどうやら自分の前職経験を強く評価しているらしかった。
プロジェクトリーダーとして5年勤め上げたという実績があるからこそ、
リーダーになることを見据えた案件を紹介してくる。しかしそれは僕の本意ではなかった。
話を聞いているだけでは自分のキャリアが想像もしていなかったところへ曲がってしまう。
そんな危機感から、僕はこの人と真っ向から対立することにした。

「あの、ウェブ系の案件はないんですか?」
「いまどきウェブ系で取ってくれるところはないですよ。
なぜなら不景気、不景気ですからね。不景気になるとどうなりますか?
広告が減ります。ウェブっていうのは広告代理店が動かなかったら仕事もないんですよ。
だからこそ私はいまあなたに、リーダー職になれるすばらしい案件を――」

「じゃあ、私たちはなんのために研修をやってきたんですか!」

思わず大きな声が出た。
僕は、いや僕たち研修生は、当然Webプログラマーになるものと思って入社してきたはずだ。
だからこそ応用研修で壁にぶち当たりながらもなんとか乗り越えながら、
Webプログラミングの基礎を勉強しているのである。
それとまったく関係のない現場に飛ばされるのなら、この3ヶ月はいったいなんだったのだろうか。
いや、それどころでは済まない。
僕に至っては、100万円以上払って上京してここに来た理由すら失せる。

「あのね、いま募集しているウェブ案件なんて2年以上実務経験者しか採りません。
未経験者を雇ったところで、それ教えるための人材必要だからです。
いま、どの会社もそんな余裕はありませんで、2年以上の実務経験者しか採りません」
「それはこの新型コロナウイルスの影響があるからですか?」
「いや、昔からです。昔からこの業界は経験者しか採らない」
じゃあ、なぜこの会社は未経験者を雇い、3ヶ月の研修で現場に送り出そうとしているんだ?
嘘をつくことを前提として会社が成り立っているということじゃないか。僕はますます憤った。
「私はWebクリエイターになりたいと思ったから、わざわざ東京に出てきたんです。
そして未経験でも手厚い研修ののち現場に出られるこの会社を信用して入社しました。
いま研修室にいる誰もがWebクリエイターとしてやっていくために努力しています。
だいたい、ここで無関係の現場に行くなら、
面接でこのスキルシートのことを何と説明すればいいんですか!?」
「スキルシートは私の管轄ありません。スキルシートに嘘書くの私も悪い思っている。
だから面接のときはこう言えばいいです。『私は地元で5年間リーダーとしてやってきた。
スキルアップを目指すために東京にやってきたが不本意に開発現場に回されていた。
本当にやりたいのはリーダー案件です』と」
「自分で自分の夢を踏みにじれというんですか。あくまでも嘘を突き通せと言うんですね」

「いいですか、○○さん。あなたはIT企業で5年間のリーダーを務めてきた。
これは凄いことです。あなたは必ず将来大きな人物になる。それだけの素質あります。
でも、なんでせっかく積み上げてきたのに今更開発したい言うんですか?
それでは今までやってきたことを捨ててまたゼロからスタートするようなものです。
これは非常にもったいない。馬鹿らしいですよ」
「人のキャリアに口を出さないでください。これがやりたいと思った道に進んで何が悪いんですか。
むしろそれを妨げているあなた方営業部には大きな問題があると思いますよ。
そんなにウェブ案件を紹介したくないんですか」
「だから! いま未経験で雇ってくれるところなんてないんですって」
「じゃあ! なんでこの短期間に12人も研修生を雇ったんですか!」
「知りません。それは社長の決めること。私はいまはあなたの心配をしているんです。
いいですか、ウェブに進みたいという夢があるなら、
じゃあなぜ新卒時にウェブの会社に入らなかったんです。なぜリーダー職に就いたのですか。
そしてなぜ今更、ウェブに進みたいと言うんですか」
「あくまで人の夢を否定するんですね。新卒と同時にやりたいことが決まっているとは限りませんよ」
「夢と言いますがね。あなたの夢は本当に夢なんですか?
じゃあ夢を現実にするための具体的な数値目標は? 答えられませんよね?
それに答えられない夢なんて、夢じゃない!」

――僕は答えに詰まった。それと同時に自然と悔しさが目にのぼってきた。
2003年にブログを設立して、翌年以降15年半以上ブログを更新し続けてきて、
それと並行しながら22のサイトを開設してきた。それが好きだということに紛れはないはずだ。
同年代の未経験者に比べればよっぽどできる方だという自負はある。
しかし、それに本当に意欲が伴っていたかと言われると、自信を持って答えられない自分がいた。
たくさんのサイトを作ってきて、それにある程度のスキルが伴っていたのは事実ではある。
しかし、広く大勢の人に認められたわけではない。ほとんどは自己満足の世界だからだ。
つまり、自分がWeb制作を好きだと言うのは多分に虚勢も含まれている。
プロフェッショナルになる覚悟というものが欠落しているかもしれなかった。
だから「何歳までに何万アクセスを獲得する」などという数値目標は確かに立てたことは無かった。
夢はまだそこまで具体的ではなく、「こうだったらいいな」という程度のものだったのだ。
その虚勢を看破されてしまった僕は、ただただ悔しかった。
そうなると、結局僕は何者でもないのだろうか。

……いや、違う、だからこそこの道を進みたかったのだ。
今まで虚勢で自己満足でしかなかった世界で、本物の技術を習得したかった。
その気持ちがなかったら、上京はしていない。前職を辞める勇気もなかったはずだ。
そこに嘘はないと信じている。それさえも嘘だったら、この人生は一体なんだったんだ。
150万円も磨り減らして東京に来て研修を受ける意味はなんだったんだ。

むしろ嘘を付いているのは会社の方なんじゃないか。
未経験でも実務ができると触れ込みで研修生を募集するだけしておいて、
いざ現場に出る段階になったらまったく関係ない仕事に従事させる。
2年以上でないと入れないというのは営業力の無さを言い訳しているだけなのではないか。
僕は悶々とした。

結局僕は、Webプログラミングとはまったく関係ない案件に応募することになった。
他に本当に一切仕事がないのなら、「仕事はしません」と言う権利は僕にはないからだ。
一次面接は営業担当が同伴し、紹介企業の担当者と話し合った。
さらに後日、二次面接は単身で客先企業と会うことになった。
他に2名の応募者が同席していたのだが、驚いたことに彼らは50代で超が付くベテランだった。
自分の「地方の企業で5年間のプロジェクトリーダーを勤めた」などというキャリアは、
一瞬で消し飛んでしまうくらい凄い人たちだった。
当時はちょうど年度末だったが、
聞くところによるとこの年度末という時期的な要因と新型コロナウイルスの影響が重なって、
ベテランを含む大量のエンジニアがいま契約を打ち切られ、次の案件を探しているらしい。
未経験者にはとても入り込む余地のない世界になってしまっている。

しかし結局、僕はそこに受かってしまい、04月23日から行くことになった。
行くといっても、例によって新型コロナウイルスの影響があるため、基本的には在宅勤務である。

僕はこの一連の流れにどうしても納得が行かず、
同僚と少し相談した上で社長へ直にメールを送ることにした。返答は電話で来た。
まず、営業にも問題はあるが、あなたも少し勘違いをしている、と言われた。
「2年以上しか雇わない」というのは部分的には事実だがそれが業界のすべてではなく、
いま案件がないのはただただ新型コロナウイルスのせいだと社長は言う。
あらゆる株をずっと見てきたが、ここまでの暴落は生まれて初めてだと。
その影響で仕事が減っているのは事実らしい。
うちの会社は営業力には相当の自信があり、営業力の不足で案件が取って来れないのはあり得ない。
これはとにかく新型コロナウイルスの影響であり、
収束すれば絶対に復活する。やまない雨はない。そう言い切った。
だからこそ、今はどんな案件でもいいから入って、並行して勉強することも進めながら、
いつか収束したときに自分の望む案件に入れるように準備するための準備期なのだと言った。

社員ですら案件に入れておらず会社として苦しい時期なのは間違いないが、
今まで成長してきた分の貯金があるので研修生12人のクビは切らない。保証はする。
でも、だからこそお互いができることを頑張ってやっていこう。
営業担当は全力で営業をする。研修生は全力で勉強をする。そこに間違いはないのだと。

スキルシートに嘘が書かれていたことについては、
社長が実際に会ったこともあるという堀江貴文の『ハッタリの流儀』という本を引用して、
できないことをできると言っておき、後付けでできるようになるのは決して悪いことではない、
と正当化されてしまった。

僕は、コミュニケーション能力でこの人は絶対に勝てないと察したので、
その場ではすべてに納得したことにして引き下がることにした。
要するに、入社のタイミングが絶望的に悪かったのだと飲み込むしかないということらしい。
すべては新型コロナウイルスのせい……なのだろうか。

そのとき言及はされなかったが、営業部の中国人は自分の担当から外れることになった。
営業部長曰く、「営業は本来社員の相談役でもあるのに、お互いに確執があると円滑に連絡できない」
という配慮から配属を変えることになったそうだ。
僕としても、人の夢を真っ向から否定するような人は、
それがたとえ論理的に正しかったとしてもこちらから願い下げである。

自分としては「できることを仕事にする」結果、選んだのがこの道だった。
夢を実現したい、というほどの覚悟があったのかと言われると、怪しいのは確かではある。
そして現実はそう甘くはなかった。
結局何もかもが中途半端なのだろうか。あの中国人の言う通りなのだろうか。
打ち拉がれた心は夢に対して迷いを生み出しつつある。
何が正しくて何が間違っていたのかは、今はまだ分からない。

学生時代は「ゆとり世代」とバカにされ続け、リーマンショックで新卒の切符を手に入れ損ねた。
二十代を乗り越えて第二キャリアを作るために転職した矢先、
今度は新型コロナウイルスという、リーマンショックを軽々と超える大災害がやってきた。
社会はうねるように変化し、決して平穏のまま過ぎ去った一年は存在しない。
そしてその流れに僕たちはいつも翻弄され続け、見えないゴールに向かってもがくのである。

Webプログラマーを目指して上京したと思ったら、
研修が終わった段階で全然別の仕事をすることになったという事実は、
自分のことでなかったらなんて馬鹿なことをしたんだと言いたくなる。
僕は新型コロナウイルスのせいで、思ってもみなかったキャリアに進むことになってしまった。
予想だにしない人生の方向転換に戸惑いはある。
「全部新型コロナウイルスのせいだから」と言われても納得できない部分は当然ある。
でも、それが社会というものなのだろう。
たった一本の道だけを思い描いていた自分が浅はかだったことは、認めざるを得ない。

思い通りにいかないからこそ、予想だにしない出会いがあり、それがまた人生の糧になる。
そんな風に、社会の荒波を前向きに捉えられる日は来るのだろうか。
飲み込まれてみないと分からない。
社会人になって7年目、今僕はきっと、人生の、社会の、世界の岐路に立っている。

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