#5974

呼吸


独り言


あるショッピングモールのペットショップに、彼はいた。
生まれて3ヶ月だがミニチュア・シュナウザーとしてはミニチュアらしからぬ大きさなので、
買い手がつかずに売れ残っていたらしい。
父と母でいろいろ話し合ったらしいが、結局は我が家が引き取ることに決めた。
家に来るや否や、混乱し暴れ回るその姿に、兄弟は誰もが最初は歓迎しなかった。
なんて厄介なものを引き取ってきてしまったんだ、と煙たがったものである。

それがどういうわけか翌年には手のひらを返し、みんなで可愛がるようになった。
その犬は、とりあえず黒いので安直にクロと名付けられた。
雲みたいにモクモクとした毛皮を被っているので「くも」などとも呼ばれたりした。

リビングに放し飼いにしておくと何をするのか分からないので、
最初はゲージを買ってその中で買うことにした。
ただし、夕食準備中など親の目が行き届くときだけは、リビングと台所の間に仕切りを置いて、
台所の方に解放することになっていた。
18時を過ぎて親が車で帰ってくると、車が駐車場にバックする音でもう気付くらしく、
入口を開けろを言わんばかりに大騒ぎした。
ケージの入口を開けると即座に飛び出し、玄関に向かって走っていく。
かと思えば、そのままUターンして戻ってくる。とにかく解放され親に会うのが嬉しかったらしい。
いや、親というよりご飯だったかもしれない。
親が帰ってくるとすぐに夕食を与えられたが、いつも一瞬で平らげるほどの食いしん坊だった。
たまに僕が親の目を盗んではおやつを取り出しケージの近くに持っていくと、
短くてまんまるの黒い尻尾が振り切れんばかりに左右に振って喜んだものだった。

5歳を過ぎたころだっただろうか、ケージはやめて普通にリビングに居てもらうことになった。
その頃にはもう誰彼構わず噛むようなことはしなかった。
ケージの代わりに専用のベッドを与えられ、そこでよく寝るようになった。
我が家に来たときからお気に入りのアザラシのぬいぐるみがお気に入りらしく、
よくベッドに置かれていた。
天敵は掃除機である。母親がリビングに掃除機を掛けようとすると、
果敢にも掃除機に勝負を挑もうと威嚇するのだが、身体の大きい割に小心者なので、
結局はすごすごと引き下がっていく姿をよく見た。
そのときも大事なアザラシのぬいぐるみはきちんと咥えて避難していた。
最初は僕に対して警戒心を抱いていたらしいクロも、
大学生になって帰省する頃には、リビングであぐらをかきながらゲームをしていると、
その膝の上に乗って寝るようになっていた。

その平穏の日々が壊れたのは、2014年08月のことである。
急に具合が悪くなった。原因はごはんを変えたことらしいと言われてはいるがはっきりしない。
病院に通うようになり、毎日注射を打つことになった。
注射は大変痛いらしく、同伴した親は悲鳴をあげるクロを見ていられないと嘆いた。

自己免疫疾患と言われた。
クロの中で、本来ならバイ菌などを撃退するための免疫系が、
自分の身体を攻撃してしまうという病気である。
これによってクロはどんどん血液を失っていき、一時は致死量に迫るほど失血していた。
血液が足りないせいで酸素が行き届かなくなり、必死にハアハアと息をしていた。
「寿命は、もって2週間ですね」
医師にはそう宣告された。

奇しくもその2週間後とは、僕がこのブログを立ち上げてちょうど十周年になる日だった。
当時僕は新しく入った会社で多忙を極めていた。
それでも全力で仕事を終わらせて、帰り道を全力で自転車をこいだ。
家に帰ると、クロは玄関でうずくまっていた。
……。
……いや、よくみると呼吸している。まだ大丈夫だ。
「もうちょっと持ちこたえてくれよ」
僕は心の中でつぶやいた。

医者の宣告から1週間が経つと、クロは満足に歩けなくなった。
かろうじてトイレまで歩いて行くと、どす黒いタールのような便を出してまた戻っていく。
よろよろと歩いて行く先は、リビングのみんなが食事をするテーブルの下だった。
そこが落ち着くのだろうか、一日のほとんどをクロはそこで過ごした。
僕は来る日も来る日も、いつか「その時」がやってきてしまうのではないかと思い、
無我夢中で自転車をこいでは、まだ無事なことを確認して安堵した。
父親はクロに優しく声をかけ、いつもなら食事が終わればさっさとリビングから消えるのに、
そのときは残って酒も飲まず、何時間も頭を撫でていた。
よく見ると泣いているようにも見えた。

泣き疲れたらしい父親がようやく寝て、僕とクロだけが残った。
クロは相変わらずリビングのテーブルの下で横たわっていた。
僕は近くに行ってみることにした。
クロは寝ていたらしいが、僕が来るのを察知すると、なんとか半分だけ目を開けてこちらを見た。

「はっ、はっ、はっ、はっ」
クロはとにかく少しでも酸素を取り込もうと、床に伏せながらも激しく息をしていた。
そうだ、今、クロは必死に生きようとしてくれている。こんなに頑張っている。
いのちはなんて儚いんだ。あまりにも残酷じゃないか。
僕は目の前で必死に生きようとするクロを見て、いつの間にか涙がこぼれていた。
そのうちすぐに、座ってもいられないくらいボロボロと涙が溢れて止まらなくなった。
生きてほしかった。こんな残酷な世界は受け入れられなかった。
クロと僕はそうやってしばらくリビングの床に横たわっていた。

明くる日、クロはさらに弱っていた。食事は病院に認められた病院食しか認められず、
それが食いしん坊なクロにとって不十分であることは誰が見ても明らかだった。
父親が言った。「くいしんぼうのクロが満足にご飯も食べられないのは可哀想だ。
せめて最期くらい、おいしいものを食べさせてやりたい」
そうして、ありったけの缶詰を食べさせてやることにした。
クロは勢いこそなかったが、それをしっかりと全部食べた。

明くる日も、その明くる日もクロは缶詰を食べた。そしていつしか、カレンダーは09月になっていた。
――治ったのである。
余命2週間と言われていたのに、
その缶詰によってクロは栄養を取り戻し、半年後には元通りになっていた。
しかし、もちろんすべてが元通りというわけではなかった。
薬はずっと飲むことになったし、食事は細心の注意が払われるようになった。
なにより、10歳を越えたクロ自身に、もう以前ほどの活力は残っていなかったのである。

それでも、生きて、生きて、生きて、生き続けて。
当たり前の日常が戻ってきて、もうあの日のことも忘れかけていた。

*  *  *

2020年04月28日。

今日、突然にその日がやってきた。
夕食のために外に出た直後に親からメールでそのことを伝えられた。今朝方のことだったらしい。
なんの実感もなかった。とても泣けやしなかった。
その場で立ち止まって返信を書いた。
クロは2020年05月03日の誕生日で、ちょうど15歳を迎えることになっていた。
15歳になったら自治体から表彰してもらえるらしい。
誕生日になったら親にメールしよう。そんなことを考えていた矢先だった。

胸の奥に何かが詰まって取り出せないような、この気持ち。
こうやって出会いの頃からのことを書き綴っていくと、じんわりと思い出が目に溜まっていく。
もっともっと愛せばよかった。もっとたくさんの写真や動画を撮ればよかった。
今月初頭、新型コロナウイルスだろうが強行して帰省すればよかった。
そうすれば最後に一目会えたのに……。

僕は、失うのが何よりも怖かった。
だから2014年のあの出来事も、書き残してしまったら今度こそクロがいなくなってしまうのかと思い、
ずっとずっと書けずに頭の隅に隠していた。
誰も失いたくない。ずっとそのままでいてほしい。それってそんなにわがままだろうか?

でもクロは教えてくれた。当たり前だけれど、命は永遠じゃない。
だからこそ今を、今この瞬間を精一杯生きるのだ。
あの日の「はっ、はっ、はっ、はっ」という呼吸は、確かに僕に大事なことを教えてくれた。
それがクロの最初で最後のメッセージだったんだろうと、僕は思う。
「ぼくは、生きるよ」と。

訃報のメールを受け取ったとき、一番最初に思い浮かんだのは父とクロの姿だった。
単身赴任中の父親が実家を後にし遠いところへ行くために玄関へ行くのだが、
クロは別れたくないのか玄関先までついていき、じっとその背中を眺めている。
父はかがんで、クロの頭を撫で、しばらくずっと無言で向かい合っていた。
そのとき、僕には聞こえなかったが、彼らは何かを語り合っていたに違いないのである。

14歳と362日の長い長い冒険はこうして、幕を閉じた。
売れ残りのミニチュア・シュナウザーは、我が家に来て幸せだっただろうかと、いまは思う。
これは人間のエゴかもしれないけれど、それでもありがとう、と思わずにはいられない。
きっとあのときの父親はこう言っていたのだろう。

「偉いぞ、よくここまで頑張ったな、クロ。偉い偉い」

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