#5994

計画への不信感


空想

ふと、長年心の片隅にわだかまっていたものについて、
今日ならうまく説明できそうな予感がしたので、それについて書いてみます。

自分は大学中期の2008年頃から、週間計画を立てる習慣がつきました。
学生時代は主にルーズリーフにアナログで。社会人時代はEvernoteにデジタルで。
一週間にやるべきことを箇条書きで書き出して、
週末はそれにしたがって「作業」をこなしていく。
そんな生活がもう当たり前になっていましたが、
いつからか計画通りに行動できないことが悩みになっていました。

計画すればするほど、結果として計画通りに行動できず予定外の行動を取っていることが多い。
その傾向は今までもなんとなく分かっていましたが、
なぜそうなるのかは真剣に考えてきたことがなかったように思います。
なんとなく、やる気が足りないせいだろう、意欲が足りないせいだろうと思っていました。

でも、今日ふと気が付いたのですが、
どうやら計画を立てれば立てるほど、計画した以外のことに目が向きやすいというのは事実にしても、
そのときに意欲そのものは対象がすり替わっただけでその度合は変わっていないらしいのです。
つまり計画をしたことで、むしろ計画したことができなくなるのは意欲の「量」の問題じゃない。
計画をしたことで空想上はそれが満たされたから、意欲が別の対象を探しただけなのではないか、と。

つまり何を言いたいのかというと、
それを実現したかったら、計画しないことが一番の近道になる、のではないかということです。
綿密に計画すればするほど、それをもうできた気になってしまう。
「できた気になる」ことによって、心は満たされてしまう。
結果として現実ではそれをもうやる必要性を感じられなくなってしまう。
しかし意欲は残っているので、別の代替を探しに行く。
結果として、週末は平日に計画したこととはまったく別のことをしていることが多い。
振り返ってみれば、そんな一週間が今までに一体何度あったことか。

なぜ計画をするのか。それによって満たしたい何らかの欲望があるからでしょう。
しかし自分にとってその欲望というのは多くの場合、自己満足が多かった。
他者からの称賛は求めてはいなかった。
だから、それを現実にするかどうかというのは実は大きな問題ではなくて、
それによって自分が満たされるかどうかという方が自分にとっては重要だった。
結果として、計画することによって空想の世界で何かを作ることに逃げていたというわけです。
実際には何もしていないけれど、空想上は満たされているから何かをした気にはなっている。
つまり、計画することでむしろその実現から遠ざかっていたわけです。

2008年というと12年前です。
この12年間で自分は計画することに対してまさか悪影響があるとは疑ってこなかったので、
完全に習慣化してしまいました。これを今更否定するのは難しいものがあります。
しかし一方で、それを否定しなければいつまで経っても現実的に行動できないということは、
この数年で心の奥底では気付きつつあった。
それが、今までうまく説明できなかった心のわだかまりなのではないかと思います。

以前、これを説明しようとしたときに至った結論は、
心のもやもやの原因は「保留の数」だ、ということでした(#4761『選択について』2017年01月20日)。
つまり、あれもやりたい、これもやりたいと保留していると、心にもやもやが溜まっていく。
それもひとつの正解なのかもしれませんが、当時解決策は思い浮かびませんでした。
今回は解決策のヒント付きです。
つまり、計画することでできた気になってしまうのであれば、計画しなければいい。

もちろん計画そのものがすべて悪だと言うつもりはありません。
思いついたアイデアを、今すぐ実行できないのであれば保留する覚悟も必要になってくるでしょう。
問題なのは「行動する代わりに計画すること」であって、計画そのものではありません。
要するに、現実で行動するのが面倒くさいから空想に逃げ、
空想で満たされることによって現実で行動しなくても満足するようにする、
という従来の図式を壊せばいいわけです。
大規模なプロジェクトなど、長期スパンで必要になってくる計画性を否定するわけではありません。

とりあえず当面分かりやすい行動指針としては、
「今すぐできることをわざわざ計画しない」ということですね。
例えば昨日、自分は今後やりたいゲームについての方向性を書き出しました。
『ピクミン3』のミッションモードがあるじゃん、というくだりです。
しかし今日実際に着手したのは『テトリスエフェクト』でした。
なぜか『ピクミン3』を着手する気が起きなかったのですが、その理由は先述の通りです。
わざわざ計画しなければ、『ピクミン3』に着手できたかもしれません。
「『ピクミン3』があるじゃん」と思いついた時点でプレイすれば良かったわけです。
なのに昨日の自分はあえて今日の自分に任せて保留した。
その結果、今日の自分が行動する前に昨日計画することで満足してしまい、
今日の自分は『ピクミン3』をする必然性を失ってしまったということになります。

ということで、計画が悪とは言わないけれど、それが行動の種を潰してしまう原因にはなりうる。
というのが今日の気付きでした。
毎週Evernoteに計画を書き綴る習慣もちょっと考え直したいと思います……。

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