#5997

できることの取捨選択


空想

いま、年間計画の第三計画(自然言語処理のためのAIの勉強)を放棄して、
その代わりに別のプロジェクトを立ち上げようかなと思っているのですが、
完全に自己満足で終わるにはあまりにも虚しいので、
賛同してくれる人が欲しいなと思っています。
とはいえ、アンケート等を使って世論調査するのはなんだか違う気がする……。
需要があるからする、という以上の意欲がないとやっていけないと思うんですよね。
果たして自分に「それ」に対する意欲はあるのかどうか。
好きなのは間違いないのですが、夢中になれるかというと微妙なところなんです。
この本当にギリギリのラインがとにかくもどかしい。
「とりあえず作ってみよう」と割りきれる人が羨ましいです。
まぁ、ちょっといろいろな視点から検討はしてみることにします。
とにかく、スキルがあるのに何もしない、ということは避けたい。

ちなみに自然言語処理に関しても必要性がなくなったわけではありません。
依然としてこのブログのタグはその日の気まぐれによって生成されてしまっていて、
まったく統一性がなくなってしまっています。
かといって、この記事数を手作業で理路整然とさせるにはあまりにも途方もない。
なので、なんとかして自動化したい。というのが年間計画に自然言語処理の勉強を挙げた理由でした。

ところが、調べてみると今の時代、AIも無料のAPIがあるらしいんですよね。
乱暴に言えば、専門知識がなくても使えてしまう可能性があると。
それなら自分がわざわざイチからAIの勉強をするのはコスパが悪いです。
まぁ、それでもPythonの勉強は必要になってくるかもしれませんが、
2ヶ月くらい前にドヤ顔で読んでいた「人工知能のための数学の教科書」
のような類の本や、あるいは数学の勉強はそこまで重視しなくてもいいような気がします。
もちろん、数学を軽視しているわけではありません。勉強できればそれがいいに決まってる。
けれど、現実には時間的制約というものがあります。一年でできることには限界があります。
そこで何を優先すべきなのか、という判断には、ときとして冷静さも求められるわけです。
あれもこれもと欲張りにしていたら、結局どれも取り逃すことになりかねません。

むろん、勉強できる人は「二兎を捕まえる」こともできるんでしょうけどね。
新企画も実現して数学の勉強もして自然言語処理の勉強もするというようなことが、
世の中の一部の人にはどうやらできるらしいのですが、
残念ながら自分はそこまでのキャパシティは持ち合わせていませんので、
自分の限界量を冷静に鑑みて取捨選択せざるを得ないところがあります。
もうちょっと、エネルギッシュに生きたいというのは常々思っているんですけどね……。
どうも自分は行動が遅く、それ故成長が遅いのがそろそろもどかしいというか。

偉い人は言いました。
「案ずるより産むが易し」と。
躊躇いや不安をできるだけ切り捨てていけば、
意欲の足りない自分にももう少し何かを生み出すチカラを発揮できるのかもしれません。
そのためにもまず、あれこれ考えすぎる癖を捨てるところから始めたいものです。

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