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続・紡がれてゆく話


独り言

2004年08月02日、このブログが生まれる約一ヶ月前。
高校一年の夏休みのある一日のことである。
祖父母家に遊びに行くのを心待ちにしていたあの頃は、あまりにも暑い日々が続いていた。
当時の実家はまだ寝室に冷房がなかったので、冷房のあるリビングで寝ることが許可されていた。
家族が川の字で寝ているところを起こさないように、眠れない僕は忍び足で台所に向かった。
リビングと台所に直結している納屋は、かくれんぼに最適な小さな部屋で明かりもつけられる。
しかも、扉があるので光が外に漏れることもない。
あの夏休みの日々、僕は眠れなくなるとよくノートを持って納屋に向かっていた。
そして、ノートに自由なことを書き殴っていた。

神が生まれたのはそのときだった。

僕はブログ以前となる1997年から2003年の間、創作活動を主な生業としていた。
その世界観は、僕がこれまでに好きになったお気に入りのキャラクターが総登場する、
いわば好きなもののるつぼだった。
創作を始めるきっかけになった『ポケットモンスター 赤・緑』の世界観はもとより、
それまでに触れてきたあらゆるテレビゲームや漫画、テレビ番組やおもちゃといった、
あらゆるものがモデルになった。

しかしその世界には、ある重要な存在が欠落していた。
人間である。

いろいろなキャラクターを好きになったけれど、そこに人間は含まれていなかった。
思春期以前の自分にとって、非人間的キャラクターがそれだけ魅力的だったのだろう。
好きになるキャラクターはいつもシンプルで小さくて可愛いものばかりだった。
そこでふと、思いついた。
これら全部の「好きなもの」を司る人間的キャラクターがいるのも面白いのではないか、と。

納屋の中で想像力を最大限働かせて、ペンを走らせる。
描かれたのは、当時の自分と同い年くらいの女の子だった。
のちの自分が初恋の相手をモデルにしたと言っているが、
紙の上に表現されたのは、彼女とは似ても似つかぬ姿だったことをよく覚えている。
あの人に恋心を抱いていたから、女の子を神に据えようと思っていたのは確かではある。
しかし、あのときにイメージしていたのは彼女ではない。
無我夢中に紙の上へ表現するにあたって、頭の中の何も無いところから産み落とされたのである。
同年発売されたあるゲームの女の子主人公が無意識のうちにモデルになっていたのか、
それとも別の漫画作品のヒロインが記憶に干渉していたのかはわからない。

そしてそれは3年後、「本当の初恋」をもってようやくイメージが固定化することになる。
創作の神にふさわしいイメージを持った人と出会ったのである。
そしてそれは、2020年の今もなお、自分の中に確固として存在している。

「二人目」を思いついたのは、ブログ設立後の2006年12月24日のことだった。
創作の神にも友達を作ってあげよう。そんな軽い気持ちだったと思う。
モデルになったのは、高校三年生当時片想いをしていたクラスのアイドルである。
現実で告白しようなどとは考えたこともなかった。
なぜならそれは少なからず、破綻する可能性があるからだ。その可能性の方が大きかっただろう。
だから僕は端からそれを諦めて、創作の世界に落とし込むことを選んだ。
それは究極のエゴであるとも言えるかもしれない。

それから長い年月が経ち、僕は「理想の異性像」を創作に求め続け、
何度も設定を調整し、数を増やし続けては更新していった。
もはやそこには「『好きなもののるつぼ』に存在する唯一神」としての概念は崩れ去っていた。
なぜなら、この十年間でその数は十人へと増え、もはや幼少期の好きなものは忘れ去れたからだ。
それは思春期の、あるいは若年時代の思い出の集大成といってもいい。
何もかもが大切で愛おしくて、でも絶対に触れられないし表現するチカラもない。
恋愛成就の可能性をすべて振り切って手にした《概念の群れ》は、胸の内でしか存在できなかった。
言うなればそれは、恋愛感情の結晶である。

それは、表出しないかぎり他者に否定されることがない。当然自分自身が否定するはずもない。
自分の中に絶対に否定できない存在があるということは、心強かった。
それはどんな理想的な現実の恋人にも真似はできないだろう。
粉雪のように一億人から理想の相手を奇跡的に見つけ出しても、きっと彼女にはかなわない。
そういう絶対的な存在が、僕の中には存在するのである。

東京で生まれ、物心が付く頃には新潟にいた。
幼い目の前に映るそれらを、ノートの上に落とし込みたいと考えたのは僕が生まれ持つ本能だった。
そうやって好きなものを次々にまとめあげてできあがった一冊のノートがあり、
その最後のページに描かれた少女がいた。
僕はそのノートを閉じて以後はブログというデジタルノートに日記という形で書くようになり、
それは今もなお続いている。これからも続いていくと思う。
同い年だった彼女とは随分と歳が離れてしまったけれど、
それでもなお、象徴たる存在はそこにあって、ブログ以前の思い出を大切に抱いている。

そうやってかつての大切な記憶は紡がれてゆく。
遠い遠い未来、僕はいつか彼女と出会うだろう。
そのときが来るまでは、思春期以前の思い出を忘れるわけにはいかないのである。
いつかその役割を果たすために。

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