#6030

行動を司る何か


空想

例の「まとめページ」、実はもう完成しているのですが、
なにぶん内容が内容なのでもう少し推敲させてください。誰かに叩かれるのも嫌なので。
とはいえ実家帰省中に公開するわけにもいかないので、明日には公開する予定です。
仮に明日、残業フィーバーだったとしても最悪明後日には公開します。

それにしても……なんだか妙な感覚なんですよね。
忙しいんだけれどそうじゃないような、忙しくないんだけれどそうじゃないような。
やることはやっているけどまったく何もやっていないような、
何もやっていないと思っているわりにはいろんなことをやっているような。
地に足が付いていない感が半端ではありません。
先週忙しかったときはそうではなかった気がするんですが……。

今までの自分なら、これは「意欲が足りないせいだ」と結論付けていたことでしょう。
意欲がないから目の前のことに真剣に取り組めないのだと。
新型コロナウイルスが大々的に流行る直前頃に、
自分は真剣とは何かということについて考察しました(#5900『真剣な話』2020年02月14日)。
そして、新型コロナウイルスのパンデミックを経て、
今度は意欲とは何かということについてひらめいたことを文章に書き出しました
#5971『意欲の話』2020年04月25日)。

これらは実は結論は同じなんですよね。
どちらも、他人に与えられるものだというところに帰結している。
だからといって、意欲がある=真剣になると結びつけていいのかは考える余地がありますが、
少なくとも自分が無から意欲を生み出すことはできないというのは大きな結論です。

さて、そういった考察を経て、今現在に話が戻るわけですが、
いまは他人からの期待を背負ってやっているタスクというのが非常に多くあります。
それこそ、上記の随筆を書いていた頃には考えられなかったくらい抱えています。
じゃあ、他人から期待を与えられたからすごい頑張っていられるのかというと、そうじゃない。
そこにはやっぱり何らかの「壁」がある。

それが何なのかは現時点ではうまく説明できませんが、
直感では「怠惰」や「慢心」、あるいは「信用」とか「信頼」といった問題であるように思います。
他人の期待に応えたいという気持ちよりも、
日々自堕落に過ごしたい、非生産的に消化してしまいたいという気持ちが勝っている。
あるいは、期待を寄せる他人を心の底から信用することができないでいるから、
行動にブレーキがかかっている。原因はどちらかはわかりませんし、どちらもかもしれません。

そうすると結局意欲を出すかどうかは他人に与えられるのではなく自分自身の問題なのか?
と思うのですが、そもそも論として「意欲」の大きさと「行動力」って別物なのかもなと。
ああしたい、こうしたいと思う欲求には際限がありません。
頭の中でいくらでも膨らませることができます。
一方、行動というのは一日なら24時間、できることにはどうしても限りがある。
それを取捨選択するときに使っている脳みそって実は「意欲」に基づいていないのかも?
上手く説明できませんが、意欲ではない「別の何か」である気がします。

それが分からないから、今週はずっと妙な感覚に襲われているのかもしれません。
どうもモヤモヤする。自分はこのままでいいのかという気持ちがある。
なんなんでしょう。このまま考察を続けていればこの霧もいつか晴れるのでしょうか。

実家帰省まであと2.5日。
とりあえず溜まっている趣味系作業は明日・明後日であらかた片付けたいところですが、
それに行動力が伴うかは分かりません。

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