#6038

いくつかの正義


空想

さて例の件が今日も進展がありましたが、もうひと悶着ありそうなので総括は見送ります。
というのも執筆開始が00時44分になってしまったからです。はよ寝ないと。
ただ、一点だけ思ったことについて書きます。

それは、どんなにどんなに正しくても、味方になってくれない人はいるんだなぁということ。
今回の件、このまま行けば我々が正しかったということで終わりそうな気はしています。
こちらの論理的な言い分は多くの人に支持されています。
でも、それでもそうじゃない人っていうのは少数ながら存在するわけです。
まとめ動画に寄せられたコメントの中にはこんなものもありました。

「人間は他人を否定するためにお金をもらわずこんなに熱意を持っていられるものなんだ……」
「死体蹴りが酷い。普通に怖かったです、なので私は低評価を押しました」

自分たちは、動画という媒体を使って論理で事実を客観的に明示したわけです。
彼は不正を疑われたけれど、これこれこういう理由があって客観的に黒と認められたんですよ、
彼が不正を疑われたのは新人いじめをしたかったからじゃないんですよ、と。

ところが上記のコメントの人たちは、そういった「事実」はもはや見ていません。
多勢が一人のゲーム実況者を攻撃しているという状況そのものに対して嫌悪感を抱いているわけです。
どちらが正しいかなんていうことはもはやどうでもいいのです。
少なくとも自分はそう理解しました。

満場一致というものがいかに非現実的かというのを最近よく思い知らされます。
10人に1人、あるいはそれ以上はたいてい、
こちらの意見に対して予想だにしない角度から指摘してくる人がいる。
自分はもう、こういう人は認知のゆがみを持っているんだろうと思い込むことにしていますが、
それにしてはそういう人の数があまりにも多すぎるというのが最近の所感です。
もちろん、満場一致すべきと言いたいわけではありません。
こちらがどれだけ正しいことを言っても、異なる意見を持っている人がいるのは当然のことです。
自分というのは一人の人間でしかなく、他人もまた自分とは違う一人の人間です。
自分がこれは絶対正しいと思うものを、他人もまた持っていることは不思議でもなんでもありません。

人はしばしば「認められたい」「優位に立ちたい」という承認欲求に囚われると、
自分や他人をマラソンランナーのように見てしまいがちです。
つまり、自分はその人より勝っているか負けているかというさじ加減でしか見れなくなる。
いわば競争原理に身を投じてしまうわけです。
そして競争原理の中では、「自分が絶対正しいと思うもの」と「他人が絶対正しいと思うもの」は、
一度ぶつかり合えば共存することはできません。そこには必ず勝ち負けがあります。
競争原理の中では、マラソンランナーの1位は称賛されるかもしれませんが、
それ以下の圧倒的多数は敗者でしかありません。
だから、競争原理はみんなを平等に幸せにするなどとは考えられない。

じゃあ、競争原理を脱して他人と関わるにはどうすればいいのだろうか?
10人に1人以上はいるであろう自分を否定する人と出会ったらどう対処すべきなのか?
自分の正義を守り通すにはどうすればいいのだろうか?
それに対する明確な答えはまだ持っていませんが、
「尊敬」がキーワードになるような気はしています。

そもそも正義とは何なのかということについても、もう少し掘り下げて考えていきたいなぁと、
そんなことを今回の顛末を観測しながら考えています。

2+

コメントを残す