#6058

甘やかすことの本質


空想

今日は眠くなる寸前までがっつり作業しないといけないので、
寝落ちしてもいいように先にブログを書いておきます。
ということでたまには昔の話でも。

何度か書いていますが、自分が前職時代でお世話になった人のうち、
とりわけ自分を慕ってくれていたのが2016年初頭~2017年秋まで在籍していた後輩でした。
このブログでは単に「後輩」と書いているのですがこれには訳があって、
後輩の前任者も自分にとっての後輩だったのですが、ちょい年上だったんですよね。
なのでその人は「後輩さん」と呼び、後任者は自分より年下だったので単に「後輩」と。

もちろんこれはブログ上で匿名性を確保するために便宜上に分別しているだけであって、
実際には名前で呼んでいました。が、実はそこにもちょっとした事情があって、
前任者の後輩さんは普通に名字+さんで呼んでいましたが、
後任者の後輩は上司と名字が被るので名前+さんで呼ばれるのが社内の通例でした。
なので自分も最初慣れないうちは名字で呼んでいましたが、
そのうち名前で呼ぶのが定着していました。人によってはちゃん付けで呼んだりもしていました。

自分はこの後輩に、頼られることで湧き出てくるモチベーションが侮れないことを教えられました。
そういう意味ではとても感謝しているのですが、周囲はとてもそういう対応をしていませんでした。
自分以外のチームメンバー、まあだいたい年配女性なのですが、
彼女たちは一番年下の後輩に辛く当たり、自分にも「甘やかさないで!」と注意してきました。

たしかに自分は後輩をかなり甘やかしていました。
仕事ができないと言われれば全部巻き取ってあげていたし、困ったら助けていたし、
話を聴くときも全肯定、とにかく否定はしないというスタイル。
それによって後輩も自分を頼るようになり、ある人に「兄妹みたい」と言われたことがあります。

でも、いま振り返ってみると、
なんで年配女性を敵に回してまで甘やかしていたんだろうと思うんですよね。
その理由は結構たくさん思いつきます。
まず第一に、単純に後輩がかわいかったから。
後輩はおそらく身長140cm台でとても小さく、顔も小さいので年齢を言わなければ完全に中学生です。
本人もおそらく自分がかわいいことを知っているので、それなりにあざとい仕草をします。
それがきっと、年配女性にとってはムカつく要因だったのでしょう。
本能的に、異性に好かれるための条件を揃えていた人だったと思います。
決して恋愛的な意味で好きだったわけではないですが、
そういった容姿を見て、とても厳しくはできないと思ったのは確かです。
ロリコンじゃなくても、赤の他人の女子中学生を厳しく叱れる成人男性ってあまりいないと思います。

第二に、自分が厳しくしなくても周囲が厳しくしているから。
これが当時思っていた最大の理由ですね。
これで仮に自分も厳しくしたら、後輩にとって頼れる人というのが誰もいなくなります。
まさしく四面楚歌の状態になり、そうなれば辞めるのも早まるだろうと。
少しでも長くいてもらうためには、せめて自分が優しく接する必要があると思っていました。
それくらい、当時の現場というのはイジメ体質だったわけです。
ターゲットになった人がメンタルを壊して辞めていくのを何人も見てきました。
なので自分は同じ理由でイジメられていた前任者もそれなりに甘やかしてきました。

第三に、そもそも教育において「厳しく接する」というのが必要なのかということが、
当時からかなり懐疑的に思っていたから。
これは先日読んだアドラー心理学の本に答えが書いてありました。
アドラーも言っているように、叱ったり怒鳴ったりする行為というのは、
相手の自立を妨げる愚行でしかないわけです。
年配女性たちはそのことをどうしても理解できなかったようです。
教育というのはムチを振るってこそというステレオタイプを捨てられない古い人たちでした。
自分はある意味そういった考え方に反抗する態度として、後輩に優しく接していたわけです。

とまぁ、厳しくしなかった理由というのはいろいろ思い浮かぶのですが、
果たしてそれが本当の理由だったのかは分かりません。
自分が一番甘やかしたのはこの後輩だったと思いますが、
それ以外も基本的に年下や下の立場の人は甘やかしてきました。
その中にはかわいくない人もいたし、周囲が厳しく接していない人もいたわけです。
だから、上の理由の第一・第二の理由はそれっぽくはあるものの、理由としては弱い気がする。
だからといって、まだアドラーも知らなかった2016年当時、
叱ることは愚行であるということを理解していたわけでもありません。

じゃあ、なぜ当時の自分は一貫して部下や後輩を甘やかす路線で仕事をしていたのか。
おそらくですが、その本質的なところは「相手を信用していなかったから」だと思うんですよね。
この人は自分より劣っていて、仕事を任せていたら何をやらかすか分からない。
だから、手取り足取り教えてあげる。突き放さずに守ってあげる。
つまり、自分にとっての完全な支配下に置いておきたいと思ったわけです。
そうすることによって自分は支配欲を満たせる。相手よりも上の立場でいられる。
仕事も自分がコントロールできる。頼られれば承認欲求も満たせるので、悪いことがありません。
一方相手も、優しくされて悪い気はしないでしょう。一見するとWin-Winのように見えますが、
実はそうではありません。

結局、甘やかし続けるかぎりは、甘やかされる方は自立することがありません。
仕事で言えば永遠に一人前になることがないわけです。
そして同様に、甘やかす方も永遠に負担が減ることがありません。
甘やかされる方が、甘やかされているかぎりそれ以上頑張る必要がないのですから。
必然的に頑張らなかった分のしわ寄せは甘やかしている方が請け負うことになります。
Win-Winに見えるそれは、お互いに承認欲求を満たし合うだけの共依存状態でしかないわけです。

2016年当時の自分と後輩はそんな関係だったのかなと今は思います。
そう考えれば、1年半経っても後輩が自立してくれなかったことにも説明が付きます。

しかしだからといって、甘やかすのが悪い=厳しくするのが良いと考えているわけではありません。
厳しくすることにはそれはそれでリスクがあるわけで、安易に採用するわけにはいきません。
たぶん、甘やかし方にも良い甘やかし方と悪い甘やかし方があるんでしょうね。
自立をゴールとするならば、例えば「ここが分かりません、助けてください」と言われたとき、
「自分が全部やっとくからそこ置いといて」というのは、多分悪い甘やかし方です。
これは2016年当時の自分もちょいちょいやってしまっていたと反省しています。
そうじゃなくて、何が分からないのかを分かるように促して、
最終的に相手に答えを導かせるのが良い甘やかし方なのかなと。
「請け負う」のではなく「寄り添う」という考え方ですね。
あくまでも課題解決の主体は自分ではなく、相手にあると考える。

そうすることによって、「この子はここまでなら頑張れるんだ」というのが分かるようになり、
それなら「ここまでなら任せられる」
という信頼関係を作っていくことにも繋がるのではないでしょうか。
どれだけやっても相手の実力が分からない、育たないような甘やかし方は教育ではありません。

というような考えが、2016年当時の自分には欠落していたんだろうなぁと。
まぁ、この反省を活かせる日が次にいつ来るのかは分かりませんが、
とにかく前職時代というのはいろいろなことを考えさせられた五年間だったなと改めて思います。
自立できていて給料も良くて上層部が腐っていなかったら、
あの会社でもっと上を目指すという人生の方向性もあったんでしょうけどね。

……ついつい1時間がっつり書いてしまった。
さて寝るまで作業するかー……。集中できますように。

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