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行動分析の第一歩


備忘録

杉山尚子『行動分析学入門』(集英社新書、2005年)を読みました。
心理学の一分野である行動分析学は、バラス・スキナーによって創始された心理学で、
心理学でありながら「こころ」に原因を求めず、
やる気や意欲、性格などといった目に見えないものを排除して行動を研究する学問です。
行動分析学によれば、勉強ができない、タバコがやめられない、
運動が続かないといった「行動」には、すべて原因があると言います。
行動分析学を理解すれば、よりよく行動することができるようになるのでしょうか?
ということで以下、ざっくり概要です。

*  *  *

行動分析学とはその名の通り行動を分析する科学である。
ここでいう分析とは原因を明らかにするという意味であるから、
したがって行動分析学とは、人間などの動物の行動にひそむ原因を明らかにし、
そこに問題があれば解決しようという学問である。
行動に原因があり法則があると言われても、
人間には自由意志があるから「自分はこうしたい」「こうしたくない」
という思いに基づいて行動しているのではないかと思われるかもしれない。
しかし行動分析学は、当の本人さえ気付いていない行動の根本的な原因を明らかにする。
この無意識下の原因に従いながらも、人は「自由に行動できている」と思うことは可能なのである。

ある女子大生は、冬の間、食事中に弟が片手をこたつに突っ込み、
片手で食事することを気にかけていた。
親が「行儀が悪いから両手で食べなさい」と叱っても一向に直らない。
そこで姉は弟が片手で食事をするという行動の原因を行動分析学で明らかにしようとした。
その手法は次の通りである。
まず家族が夕食時に座る位置すべての室温を測る。
すると弟の位置はドアに近いため著しく低いことが分かった。そこで、次のような実験を行う。
まず第一段階はそのまま何もせず観察し、弟が両手で食事をする割合を計測する。当然著しく低い。
次に第二段階として「介入」を行う。
姉はストーブをひそかに移動し、弟の近くの室温が上がるように仕掛ける。
そして弟の行動を観察する。
すると両手で食事をする割合が明らかに増えた。
これで原因は室温だったと言えそうだが、実はそうではない。
姉の与り知らない他の原因がたまたま作用して、
そのせいで弟が両手で食事をするようになったのかもしれない。
そこで第三段階として、ストーブを元の位置に戻す。ここでもし室温が本当の原因なら、
弟は再び片手で食事するようになるはずである。
さらにトドメの第四段階として、再び「介入」を行う。つまりストーブを弟に近づける。
これで両手で食事をするようになれば、
いよいよ弟が片手で食事をするという行動の原因は室温のせいと言えそうである。
(このような実験方法を単一被験体法という)

行動分析学ではこのようにして行動の原因を突き止めて、行動を改善する。
朝寝坊が直らない、タバコがやめられない、勉強する習慣がつかないといった日常の困りごとは、
実は行動分析学ですべて説明でき、その改善の手立てを提案することができるのである。
しかし世間一般では、このような弟を見たときに「行儀が悪いせいだ」と言う人は多い。
同様に、勉強ができないのは「やる気がないから」、
タバコがやめられないのは「意志が弱いからだ」というように。
そのような主張に対して「ではなぜ行儀が悪いのか?」と問うと、
それは「片手で食事をするから」となる。片手で食事をするから行儀が悪いのではなかったのか。
つまり、性格とかやる気、意志といった抽象的なものを原因にしてしまうと、
それそのものが解明できないのだから、循環論法に陥ってしまう。
だから行動分析学では、決して性格ややる気や意志といったもののせいにはしない。

そもそも「行動」とは何なのだろうか。
行動分析学の創始者の直弟子であるオージャン・リンズレーは次のような明快な言葉を残している。
「行動とは、死人にはできない活動のことである」
例えば「車にひかれる」「怒らない」は行動ではない。死人にもできるからである。
反対に、「考える」「思い出す」などは、見た目上は動いてなくても、
それは死人にはできない活動であるので、行動である。
ざっくりいえば、行動分析学は「~しない」のような否定形を分析の対象にはしない。
「~している」も同様であり、連続的な一連の活動を一括して行動としてみなさない。
ただしその一部を切り取った活動を行動と見なすことはある。
「静かにする」は死人にはできないが、「静かにしている」は死人にできるという理屈である。

例えば、電源のスイッチを入れると明かりがつく。
このとき、「電源のスイッチを入れる」は行動であり、「明かりがつく」はその結果である。
人は明かりがつくからスイッチを入れるのであって、
いくらスイッチを押しても明かりがつかなかったらスイッチは押さない。
よって、「明かりがつく」は、「スイッチを入れる」という行動の原因であると説明できる。
このように行動のあとに原因がついてくる(随伴する)行動のことを「オペラント行動」という。
先の女子大生の弟が食事中に片手をこたつにもぐらせる行動もオペラント行動である。
この場合は

「(直前)手が温かくない→(行動)片手をこたつに入れる→(直後)手が温かい」

という2つの矢印で示すことができる。
このような、行動と直前・直後の3つの関係のことを「行動随伴性」という。

行動は行動のもたらす効果に影響を受けるというのが行動分析学の考え方であるとき、
その行動が行動随伴性によって繰り返されるようになることもあれば、そうでないときもある。
一般に、直後の影響によって行動が繰り返されるようになることを「強化」という。
そのとき、行動分析学では行動の直後に変化した何かを「出現したか」「消失したか」で分類する。
手が温かくない状態から、こたつに手を入れるという行動によって手が温かくなった場合、
行動の結果「温かさ」が出現したと考える(少なくとも何かが「消失」したわけではない)。
この出現したもののことを専門用語で「好子(こうし)」といい、
好子の出現によって行動が繰り返されるようになることを「好子出現の強化」と呼ぶ。

いっぽう、例えば雨が降ってきた場合のことを考える。手元には傘がある。このとき、

「(直前)雨に濡れる→(行動)傘をさす→(直後)雨に濡れない」

という行動も強化される。この場合は、「雨に濡れる」という状態が変化して消失したと考える。
この消失したものを「嫌子(けんし)」といい、
嫌子の消失によって行動が繰り返されるようになることを「嫌子消失の強化」という。
行動が繰り返されるようになるメカニズムには、
これらいずれかの「強化」が働いていると考えることができる。

逆に、行動を繰り返さなくなるメカニズムもある。
例えば幼い子が誤ってガスストーブに触れてしまった場合。
大変痛い目に遭うので、その後はガスストーブに近付こうとさえしなくなる。
これを行動随伴性で考えると

「(直前)熱くない→(行動)ストーブに触れる→(直後)熱い」

となる。行動が繰り返されなくなることを「弱化」という。
弱化のときに出現した変化は嫌子であり、この場合は「嫌子出現の弱化」という。
逆に弱化によって消失したものがあれば、それは好子である。
ある人が山の展望台から身を乗り出して遙か下を見下ろしたら、サングラスを落としてしまった場合。

「(直前)サングラスがある→(行動)崖を見下ろす→(直後)サングラスがない」

となり、好子が消失したことでこの人はおそらく今後崖を見下ろすことは控えるようになる。
これを「好子消失の弱化」という。
以上の4つを基本随伴性といい、行動分析学を考える上で基本的な概念である。

しかし強化はずっと続くものとは限らない。環境の変化によっていかようにも変わりうる。
例えばいくら電話をかけても相手が電話に出ない場合を考えると次のようになる。

「(直前)人と話せない→(行動)電話をかける→(直後)人と話せない」

このように随伴性が変化しない場合、人はその行動をいずれやめてしまう。
これは弱化とはまた違う状態であり「消去」と呼ぶ。消去は強化随伴性がなくなった場合に現れる。
では弱化随伴性がなくなるとどうなるのか。これは「復帰」と呼ばれる。
教室で子どもたちが騒ぐと教師が叱って止めさせる。その結果子どもたちは騒がなくなる。
これは弱化である。ところが教室から教師がいなくなるとどうなるのか。
子どもたちは再び騒ぎ出す。これが復帰である。

ところで行動は直前直後だけの影響では決まらない。
例えば「おはよう」と声をかけるのは、朝であるかどうかという条件によっても左右される。
これを「先行刺激」という。
道路を横断したいとき、先行刺激が「信号が赤」なら行動は弱化するが、
「信号が青」なら弱化がなくなるので復帰する。
このように先行刺激で行動が変わることを刺激性制御という。

行動を改善するにはいくつかのアプローチ法がある。
そのうちのひとつがシェイピングと呼ばれるものである。
シェイピングでは、目標を達成可能な最小限から初めて
成功率が上がったら目標を少しあげるということを繰り返す。
ここで重要なのが「即時強化」である。
失敗したらブザーを鳴らすなど、何らかの方法ですぐに強化する仕組みを作る。
それから、目標はあくまでも徐々に上げていくことも重要である。
できるからといっていきなりハードルを上げて挫折したのではうまくいかない。

禁煙を決意した人が、健康被害を受けると分かっているのにタバコをやめられないのはなぜか。
それは、健康悪化をもたらすのが吸った直後ではないからである。
肺がんになるとしてもずっと先の話であり、そもそも肺がんにならないかもしれない。
行動分析学では、行動とその直前直後の影響の随伴性に着目するが、
ここでいう「直後」とは概ね60秒以内のことである。
タバコを吸う→健康を損なうという関係があっても、
健康を損なうのが遙か未来であればそれは行動に影響しない。
合格を目指して試験勉強をするのも同じである。
試験勉強が続けられているのであれば、それは合格することではなく別の随伴性が潜んでいる。
これを60秒ルールという。

このように行動随伴性で考えると健康悪化を理由に禁煙することは難しいことがわかる。
そこで、禁煙のためには別の行動随伴性を用意するという考え方がある。
例えば、タバコを吸ってしまったら罰金を支払う。これにより、
「お金がある→タバコを吸う→お金がない」
という好子消失の弱化が起こる。
このように基本随伴性に従って行動を変えることは、行動分析学を利用した習慣の改善に有効である。

ところでこれまで見てきた行動随伴性の法則はあらゆる動物に不変の法則であると言える。
行動随伴性はもともとデンショバトなどを用いた動物実験からスタートしており、
その概念は人間に対して考える場合も変わらない。しかし、人間に特有の行動随伴性も存在する。
それは言語行動である。言語を発することは死人にできないから行動である。
この行動の特徴としては、通常言語行動には聞き手が存在するということである。
ゆえに行動分析学では言語行動を考えるとき、聞き手の存在も考慮する。

言語行動は7種類に分類できる。
1つ目はマンドという。例えば居酒屋で、客が従業員に「ビール!」と言った場合。
行動随伴性で考えると

「(直前)ビールがない→(行動)ビール!と言う→(聞き手)ビールを用意する→
(直後)ビールがある」

となる。マンドの特徴はこのように言語行動の中に好子が含まれている。
この場合はビールが好子となっている。

2つ目はタクトという。例えば喫茶店に入ったつもりなのに、目の前にビール瓶が並んでいる。
「あれ、ビールがある」と言う。この言語行動によって周囲の同意を得られることになる。
日常会話のゴシップ関連などはたいていこのタクトである。
タクトの特徴として、マンドは先行刺激となるものが目の前に存在しなくても
「ビール!」と言語行動を行うことができたのに対して、
マンドは(目の前にビール瓶があるという)先行刺激が必要である。
そして、言語行動と好子の間には直接の関係はない。
ここでいう好子は、周囲の同意を得られることである。

3つ目はイントラバーバルと呼ばれる。
これは、先行刺激が言語行動であり、それによって引き出される言語行動のことを言う。
例えば『麦の酒と書いて何と読む?』と言われたら「ビール」と答えるような場合を言う。
4つ目はエコーイックである。
例えばスペイン語の会話教室で、先生が「セルベッサ(スペイン語でビールの意)」と言ったとき、
生徒が繰り返し「セルベッサ」と言う。いわゆるオウム返しである。
残る3つは読み書きに関連しており、それぞれディクテーション(聞いたものを書く)、
コピーイング(書いてあるものを書く)、テクスチュアル(文字を読む)の3種類であり、
話す言語行動とは区別して考える。

ここで注意したいのは、
7種の言語行動の違いは随伴性であり、言葉の意味に違いがないこともあるということである。
単に「ビール」と言うだけでも、居酒屋で「ビール!」と言えばマンドだし、
ビール瓶を指して「ビール」と言えばマンド、
『麦の酒と書いて何と読む?」と言われて「ビール」と答えればイントラバーバル、
スペイン語の先生が「セルベッサ」と言ったのに続けて「セルベッサ(ビール)」と言えば
それはエコーイックである。

*  *  *

以上でした。
後半のまとめはかなり早足で書いたのでかなり割愛しています。特に4章は丸々カットしました。
言語行動についてはとても難しいのですが幼児教育などには有用なので、
興味のある子育て世代の方は調べてみてください。今回は割愛します。

自分は長らく「意欲のなさ」「やる気のなさ」といったものに悩まされてきたわけですが、
行動分析学ではこれを真っ向から否定します。そもそも「意欲」「やる気」なんて無いのだと。
そうではなく、行動に原因がある。原因を突き詰めれば改善することができる。
これはいままでの自分の迷走をぶった切る厳しい現実ではありますが、光明でもあります。

例えば自分が週末作業に集中できずにダラダラしてしまった場合。
今までの自分は、「今日はたまたまやる気が出ない日だ」「自分のキャパシティはこの程度だ」
と思ってきました。逆に作業ができれば、それは「今日は意欲のある日」だと考えてきました。
しかし、行動分析ではそんな考え方はしません。
作業が継続したということは、作業直前に無かった好子が直後になって出現したか、
作業直前にあった嫌子が直後に無くなったかのどちらかであると言えます。
例えば、作業後アップデート情報をTwitterにアップしたらすぐ「いいね」がついた。
あるいは、放置していたバグが直ったとき。これらはそれぞれ強化に繋がっていきます。

以前『没頭力』という本を読んだときにも書きましたが(#5213『退屈との戦い方』2018年04月01日)、
プログラミング作業というのはすぐに結果が反映されるという点で没頭しやすい特質があります。
そしてそれはまさに行動分析でいうところの、強化随伴性が働いていたからだったんですね。

だから、その理屈で行くと目先の小さな目標のためにする作業って続きやすいんですよ。
サイト更新作業でいえば、マイナーアップデートならわりとできることが多い。
けれど、中長期的な目標になるとそううまくはいかない。
その作業によって得られる果実が、ずっとずっと先だからです。これでは60秒ルールに収まりません。
新規サイトの立ち上げなんてもっと苦行です。
マイナーアップデートと比べて労力も半端ないのに、反面見てくれる人はごく少ないんですからね。
ここ五年、自分が新規サイトを作っていない理由もこの辺にある気がします。

結局、学生時代、テスト勉強がなかなかできない、夏休みの宿題がなかなかできないと悩んでいたのも、
これが原因だったということがいまになってみればよくわかります。
テストの結果や、新学期に提出してスッキリすることだけを拠り所にしていては、
強化する随伴性がなにもないということなんですね。
だからきっと、学生時代から勉強できていた人は、
テストの結果とはまた別の、勉強を習慣化する動機づけを持っていたのでしょう。
ぜひそれを教えてほしいものですが。

この本は、あくまで行動分析学の基礎の基礎を紹介するところに終始していて、
「行動を如何にして改善するか」というところは、あまり多く触れられていません。
そういう意味では本当に入門書です。これとは別に実践編がほしいところ。

それにしても、あらゆる行動は行動随伴性で考えることができ、
やる気、性格、意志、意欲といったものは「行動できない原因」にはならないというのは、
衝撃的ですがなかなか為になりました。
自分もブログを通じて、長年「やる気とは何か」ということを考えさせられてきましたが、
なんというか机の上を一掃された気分です。やる気なんていうものは無かったんだ、と。
もちろん、睡眠不足や栄養不足によって脳みそのパフォーマンスが落ちることはあり、
それを「やる気がない」と表現することは可能ではあるので、
やる気という概念そのものが無くなったとは自分は思っていません。
ただ、それを行動できなかった際の言い訳には使えないということですね。

哲学者ウィリアム・ジェームズの名言は、行動分析がいかに有用であるかをみごとに表現しています。

「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」

もしかすると行動分析は、人生をより良くするための鍵となる概念……なのかもしれません。

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