#6097

続・タコウインナーの話


独り言

行動できない。
やりたいことはかなり具体的に決まっている。
今週は最低限これをする、すると次週にはそれをすることができる、
そうやってプロセスを踏んでいけば最終的にあることを成し遂げることができるはずだ。
そんなプランはいくつもある。
それらを本当に達成したいのかと胸の内に問えば、ぜひ達成したいという答えが返ってくる。
心理的障壁は乗り越えたし、時間的制約が強すぎるというわけでもない。
にもかかわらず、行動できない。

週間計画を立てるようになって12年、
最初はそこに描かれたものは桃源郷に過ぎなかったかもしれない。
単なる夢物語で実現可能性を考慮できていなかったかもしれない。
しかし、長い時間を経て少しは「自分にできそうかどうか」を考慮できるようにはなったつもりだ。
そうやって生み出された諸々の計画はいわば人生設計であり、
そのゴールには30代、あるいは40代、50代にこうありたい自分というイメージが存在する。
計画のレールから外れることは人生を諦めることに等しい。
あらゆる可能性を捨ててまで、なぜ自分は行動できないのだろうか。

上京して9ヶ月、その原因を探るためにいろいろな本を読んで、行き着いた結論がある。
行動できないのは何故かというと、
自分が行動してしまうと、その先にある現実で必ず思い描いていた理想が崩れるからだ。
「自分はこんなこともできるはずだ」という全能感が、
それを会得するのに必要なスキルと自分のスキルとのギャップによって砕かれてしまうからだ。
逆に言えば、自分は行動しないことによって
「あれをできるかもしれない」という可能性を残すことができる。

それは行動しなければ破綻することは絶対にない。
その可能性を残したいと願うからこそ、行動できないのではないか。
恋愛で例えれば、意中の相手に告白しないことで失恋を避けているようなものである。
確かにリスクは回避できるが、同時に成就する可能性もゼロになってしまう。
どこかで聞いた話である。
自分にとって往年の課題だったタコウインナー問題もこれが原因だったと分かる。
一番大事なものに触れる勇気がないのは、
それを一番大事な不変のものとして取っておきたい意図があったのだろう。
うかつに触れてしまえば、一番でない可能性に出くわす可能性がある。
しかし触れなければそのリスクを永遠に避けることができる。

要するに自分は、現実よりも妄想を優先して生きてきたということなのだろう。
そして現実が疎かになり、軽視され、その結果あらゆる行動が抑制されつつある。
行動を抑制しないと、妄想のメッキが剥げてしまうからだ。
自分はまだ、作曲もできるかもしれない、イラスト制作もできるかもしれない、
大金持ちになれるかもしれない、結婚できるかもしれない。
そんな可能性を行動しないことで保持し続けている。現実は一切直視しない。
妄想を優先して生き続けるかぎり、自分は「全能」で「特別」な存在であることができる。
少なくともその可能性はある。
なぜならまだ行動していない以上、それができるかどうかは分からないからだ。

このような事態に陥ってしまったのは、直視できないほどひどい現実のせいなのだろうか?
しかし現実を思い返すと、どうやらそうでもないこともあるようだ。
計画上は1年以上保留していたことが、着手してみれば3日で終わったということはよくある。
「これは相当の覚悟が必要だろう」と思って最低の優先度に設定した計画を、
あるとき着手してみたらまったく大したことがなかったということもある。
一方、半年以上大事にとっておいた作品をいざ鑑賞してみたら全然面白くなかった、
などということもザラにある。
もちろん、いざ手に取ってみたらとてもじゃないが手に負えなかったというケースもなくはない。
しかし、そういうケースはさすがに計画を12年も立てている昨今は減ってきた気がする。

つまり、自分が想像している以上に、「実現不可能で挫折する」というパターンは少ないし、
現実が実際に直視できないほど闇に覆われているわけではない。
それどころか、妄想上の大仰なストーリーよりも現実の方が取っ付きやすい可能性は高い。
妄想と現実のギャップを直視する勇気が足りないのは単に自分の経験不足のせいであり、
直視することを習慣づけていけばそれは克服できるような気はする。

まず、計画のひとかけらを手にする。そしてそれの理想と現実のギャップを測ってみる。
そのためにはまず手に取ってみる。そのうえでそれを「計画」にするか否かを判断する。
計画を計画以前の机上の空論で放置しない、というのが当面の目標になるだろうか。
とはいえ僕は妄想を全否定したいわけではない。妄想は妄想で大切な所作である。
いまは行動しないが、いずれは行動したいと思うようなことも持っておくのは大事なことだ。
手に取ってみて、これはまだ妄想のままでいいと思うこともあるだろう。
それは、心の中で温めておけばいつしかまた芽が出てくるかもしれない。

「やりたいことがあるのなら、やってみればいい」
小学生でも理解できそうな当たり前のことを理解するのに、
これまで一体どれだけの遠回りをしてきたのだろうと振り返る。
着手したら完成しなければならないという義務は存在しない。
あるものを着手したら別の何かを着手できなくなるなんていうこともない。
もちろん、その過程で自分自身のスキル不足に失望することも多々あるだろう。
妄想に行き続ければそれを直視することもなかったが、そろそろそうも言っていられない。
これからは存分に失望して、自分の適性と理想の狭間を追い求めることになるのだろう。
本来であれば学生時代にやっておきたかったことではあるが、仕方がない。

夢がなければ千里の道は歩めない。
しかし、夢だけを追い求めるかぎり、その道は一歩も踏み出せないのである。

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