#6144

尊重について


空想

iPhone 12のことを書きたくてたまらないのですが、
ちょっとそれとは別件でどうしてもネガティブ感情を片付けておきたいと思ったので、
頭の整理がてら、書きます。

自分は現時点で独身です。
なので、すでにパートナーがいる人に対しては強い嫉妬心を抱きます。
それについての内省は〈#5885『嫉妬の話』2020年01月30日〉に書いた通りで、
つまり嫉妬というのは、自分が持っていないものを持っている誰かを観測することを通じて、
それによって「自分の努力不足でクズな部分」を再認識させられるので不快な気持ちになる、
その不快な気持ちこそが嫉妬という感情なのだという話でした。
自分は自尊心によって「それ」を手に入れるのを阻まれているのに、
そんなこともつゆしらず、他人は「それ」をいとも簡単に手に入れているのを見るのは悔しい。

しかし実際のところ、「いとも簡単」かどうかは分かりません。
その人はその人なりに自尊心を乗り越える苦労をして、やっと「それ」を手に入れたのかもしれない。
また、自分を阻んでいる自尊心というのはいわば心のハードルであって、
それ自体がまやかしである可能性もあるわけです。
にもかかわらずそういう可能性をのっけから排除して他人を貶めたくなるのは、
いわば行動しないことの言い訳にすぎません。
自分にとって都合の悪い事実をでっち上げることによって、
なんとか「行動しない自分」を優位に立たせようとしているわけです。

恋愛、身体的特徴、知識、スキル、収入、仕事、SNS、趣味、人間関係……。
あらゆる社会的ステータスにおいて、「他人と比べることはよくない」と言われるのは、
多分にこういう心理的メカニズムがあるからなのではないかと思います。
他人と比べ、劣等感を感じ、嫉妬することは行動の抑制やその正当化に繋がっていくのではないかと。

と、ここまでが2020年01月末時点の考えです。
それから8ヶ月半、いろいろなことがあった中で、この考えの反証となり得るものを見つけました。
それは、同僚の存在です。

いまの本社で出会った同期の人にもいろいろな人がいて、当然パートナーがいる人もいます。
じゃあ、その人に「努力不足でクズな部分を再認識させられる」かというと、そうでもない。
「今度同棲することになりましたw」と連絡が来たら、素直におめでとうと言えるんです。
それ以上もそれ以下もありません。
ここから、嫉妬の考え方にはいくつかの可能性が浮かび上がってくるわけですが、
その中でも、「嫉妬するかどうかは相手によって異なる」というのは、まあ間違いないと思います。

じゃあ、どういう相手なら嫉妬して、どういう相手なら嫉妬しないか。
これはとても難しい問題なので、いま結論を出すのは早計のように思われますが……
たぶん、「自分という個人が、その相手に尊重されているかどうか」がカギのように思います。
それは例えば、「いつもありがとう」「○○さんって本当にすごいね」
みたいなことを言われた経験があり、それを自分が信用し、覚えているかどうか。
自分が尊重されていると分かっているから、じゃあ自分も相手を思いやろうと思うことができる。
その関係性においては、嫉妬は生じないのではないかという考えです。

たぶん、自分の価値観ではそういう態度で接してこない人は信用の対象外なんですよね。
そして、信用できないと「同棲することになりましたw」がマウント取りにしか聞こえないわけですよ。
「お前のことは知ったこっちゃないけど、俺はパートナーとうまく行ってるぜ~いいだろ」
みたいな解釈を無意識のうちにしてしまうわけですね。
実際に、相手と自分の中で思いやりの経験がないと、
相手が自分をどこまで理解してくれているかってなかなか計れない。
結果として、「まったく信用されていない」という最悪の場合も想定せざるを得なくなるわけです。
それが上述のような解釈、思い込みに繋がっていく。

「相手から見た自分」がブラックボックスだと、相手そのものも信用することができない。
そしてそのブラックボックスは、ある種のコミュニケーションによって明るみに出すことができる。
早い話が、自分が嫉妬する相手というのは、意思疎通が不十分なんでしょう。
上記リンク先で挙げている「人生においてどうしても許容できないと感じる2人」というのも、
そういえばほとんどまともに話したことのない相手でした。
あと、ネット上の人間関係で嫉妬に陥りやすいのも、この辺が関係している気がします。

その点、いまの本社の同期は誰もが信用に足る存在です。
なぜなら、自分が研修最優秀だったので、自然と尊重されてきたからです。
webプログラミングという土俵において、同期の中でなら比較的優位性を保つことができる。
それゆえに、自分も同期を思いやることができているわけです。
これは、前職のチーム内の人間関係も近しいところがあったと思います。
自分のスキルは先輩や後輩も認めていたから、自分も先輩や後輩を信用することができて、
結果的に五年間でプロジェクトや関係者は大きく成長することができました。

ただ、学生時代はそういったことが一切ありませんでした。
なぜならその当時の自分の「土俵」はゲームという孤独な空間でしかなかったからです。
小中学校まではゲームという土俵の中で信頼できる相手を見出すこともありましたが、
今思えば高校以降ってそういう意味で信頼に足る相手って居なかったなぁと今更ながらに思います。
大学院に至っては、「付き合ってくれている」感が凄かったですね。
案の定、修了と同時に縁は切れました。
まぁこれは当時の自分がコミュ障だったせいでもありますが……。

それは別にクラスメイトが悪いのではなくて、
自分の中に「尊重できる何か」が無かったのが一番の問題ではあったと思うんですよね。
つまり、他者にとっての自分というのがまだ確立していなかったわけです。
それでもなんとなく高校時代は楽しかったと思えるのは、単に若気の至りということなのでしょう。
楽しかったけど、自分の夢などを腹割って話す相手とはついぞ出会いませんでした。
申し訳ないけど、楽しかったとはいえ信用に足る人は一人もいなかったというのが現実です。

ただ、この「あなたが私を信用してくれるなら私はあなたを信用する」
という考え方ってすごく受動的なんですよね。
お前は誰かに尊重されないと自分からは誰も思いやれないわがままなやつだ、
と言われれば、今のところはいその通りですとしか言いようがありません。
自分が誰かを尊重することは当然あると思っていますが、それを直接伝えることはまれです。
「いつもありがとう」「○○さんって本当にすごいね」といったセリフを、
果たして自分が相手に尊重される前に言うことができるのかどうか。
そもそもそれを言ったところで相手は自分を信用してくれるのかどうか。難しいですね。

これを踏まえて嫉妬の問題から逃れるために考えられる手段は、人間関係を厳選することです。
「自分を尊重してくれない人全員と縁を切るべき」というのは些か横暴ですが、
マウント取りしかしてこない人間と関係を結ぶことに果たして利点はあるのかと思うわけです。
人間関係に利害を持ち込んでいる時点で、それは人として美しくないという指摘もあるのでしょうが、
自分はメンタル防衛のために他人との付き合い方をある程度主体的にコントロールすることは、
このネット社会の世の中においてはある程度必要なことだと思っています。
マイノリティの声がやたら大きいいびつな現代社会には、変な価値観を持っている人は多いですからね。
誰とも仲良くできるに越したことはないのでしょうけど、
これだけ価値観の多様化が進んでしまうと、
なかなかすぐにみんな仲良し、とはいかないのではないでしょうか。

かといって中途半端に関係を持ち続けると嫉妬の対象になってしまうので、
できれば明確に遠ざけてしまった方がお互いのためになります。
ネットで簡単に繋がれてしまう時代だからこそ気を付けたいものです。

2020年現在、とりあえず近くには嫉妬を思い起こさせる人がいないのは幸いです。
ただ、ピクチャレ大会の大規模化に伴って、運営者としてフォロワーが多くなってきてはいるので、
特にネット上の人間関係にはより一層気を付けていきたいなと思っています。

1+

コメントを残す