#6157

嫌われ者の流儀


web制作

本日より当ブログは暫定的に「非公開」にて運営しています。
閉鎖は絶対にしませんが、再公開に関しては対応方針が決まってからになる予定です。
一般読者のみなさまには大変なご迷惑をおかけしております。
(といってもこの記事も再公開後にしか読めないのですが……)

いったい何が起きたのかというと、
一昨日の記事で自分が海外勢に触発されて
「ある界隈」に対する悪口(自分としては単なる批判のつもりだった)を書いたところ、
もっとも読んでほしくなかった当事者に記事のURLが拡散してしまい、
悪口に対する反撃として「アイツとはもう関わりたくない」
「クズ」「ゴミ」「クソザコ」等々の誹謗中傷を受けているという話です。
正面切って誹謗中傷されるのは初めての経験なので非常に心を痛めていますが、
もちろんネット上に悪口と解釈できる文章をアップした自分も悪いので弁解の余地はありません。
まさか当事者に読まれないだろうという油断もありましたが、
それはネット上に記事をアップする者としてはあんまりな態度です。
表面上の、自分の知っていることだけで隣の芝を知ったような気になっていたのもマズかったですし、
当然、リアル知り合いですら分かっていることは少ないのに、
Twitterのつぶやき程度でネット越しの人を分かっているかのような勘違いをしたのもマズいです。
と、諸々考えると一昨日の自分はブロガーとしてあるまじき姿だったと深く反省しています。
2018年のトラブルで他人をディスることのリスクは痛感していたはずなのに、
なぜここにきて過ちを繰り返すのか……。正直こればかりはバカとしか言えないです。
関係者の方には、不快な気持ちにさせてしまい本当に申し訳ありませんでした。

これはブログ運営において長年抱えてきた爆弾のような課題でもあります。
人は自分の境遇に不満があればあるほど、他人を批判したがる習性を持っているように思います。
他人より優位に立ちたいからなのか、自分の正しさを証明したいからなのか、
その根源的な欲求が何なのかはわかりません。しかし、そういう欲求があるのは間違いないです。
そしてそれは頭の中に持っているだけではどうしようもないので、
アウトプットしたい(誰かに伝えたい)という欲求に突き動かされることが間々あります。
多くの日常的な所作をブログという形でアウトプットしていく中で、
それだけを頭の中に取り残して過ごすというのはやってみるとなかなか困難で、
だからこそ先日のような記事を定期的に書きたくなってしまうわけです。

しかし、インターネット上にそういう記事をアップすると、
早い話が今回みたいな酷い目に遭う可能性がどうしても拭いきれないわけで、
危険性が常にあると言えます。
それは何も攻撃的な意見に限らず、あらゆる意見には反対意見というものがあるため、
自分とは真逆の意見を持つ人に攻撃される危険性というのは常にあります。
それが両者を尊重し合う「話し合い」になれば有意義かもしれませんが、
顔も知らない相手のネット上では、なかなかそうはなりにくい現実があります。
その点で、そもそも日記である個人ブログをネット上に無防備に公開し続けるのは、
ネットモラルとしていかがなものなのかという疑問はずっと昔からありました。
日記というのは、本来書くことに制約はあるべきではありません。
制約がないから長く続くんです。
悪感情も含めて赤裸々に書いてこそ、日記としての体裁を保てるというものです。
しかし、ブログはネットモラルに反することは書けません。ネットは公共の場だからです。
そもそもこの点で矛盾しているわけで、
このブログは日記だけれどもネットモラルに反することは書けない場であるわけです。

にもかかわらず、ここ数年はブログをいわば心のごみ箱として運用してきました。
心に何かわだかまりがあれば、遠慮無くブログに吐き出していく。
そうすることによって心の安寧を保っていたわけですね。
しかしその「わだかまり」が、ある文化、個人、団体等への不満という形で表出してしまうと、
それをブログに載せるのは社会的にルール違反ということになってしまうわけですが、
自分はブログを始めて以来、そういうことはあまり気にしてこなかった節は否めません。
なぜなら、今回みたいに正面切って非難されることはなかったからです。
このような底辺ブログにわざわざ来ていちゃもんをつける人は過去皆無だった。
だから、自分はブログを本物の日記帳かのごときものとして運用していた面もあります。
「どうせ誰も見ていないだろう」ということです。

でも、結局それがそもそも良くないということを今回の件で痛感しました。
ブログは、自分だけの秘密基地じゃない。
ブログ記事を投稿するということは、駅の掲示板に日記を掲示しに行くようなものです。
それを目にする幾百の人たちの中には、自分と相容れない考えの人も相当数いるでしょう。
そうやって晒されていくことで、
自分は知らないところでじわじわといろんな人に嫌われ続けてきたのかもしれません。
これからは、そのことをもっともっと自覚しなければならない。

2018年、Twitterに空中Disやネガキャンを投稿して痛い目に遭ったときと、
今回の件は書き込み先が異なるだけで本質的には同じ過ちであると反省しています。
2018年の反省で「Twitterにネガキャンを書くのはダメだ」という意識は持つことができたけれど、
それをブログにも適用することがなかった。同じネットなのに。
結果として、「Twitterに書けないネガキャンをブログに書くだけ」という、
場所が変わっただけで毒を吐くことそのものは変わっていなかったというわけです。

ただ、本音を言えば「個人ブログでくらい愚痴は吐かせてくれ……」と思わなくもないですが、
まあ公開されている以上はその考えは間違っているのでしょうね。

これら反省を踏まえて、
今後少なくとも半匿名以上の公共の場では毒を吐いてはいけないということがわかりました。
そこで、このブログの今後の方針としてはいくつかの方向性を考えることができます。
ひとつは、ブログを会員向けサイトにするというもの。
自分が許可した人しか閲覧できない空間であれば、
少なくとも自分が想定していない読者に読まれて攻撃することはなくなります。
要は「毒を吐くのはゼロにはできないが、それを許容してくれる人にしか見られなければ問題ない」
ということです。これが最善なのかはわかりません。
執筆スタイルを変えなくても継続でき、攻撃される可能性をぐっと減らせるのが利点。
他方、訪問者数は激減します。新たな読者も望めません。
サイトとしての成長を諦めるようなものです。
また、それよりも過激な方法としてはカギをかけて「誰にも見せない」という方向性もあり得ます。
それでブログが存続できるかは未知数です。やったことがないのでわかりません。
鍵付きや会員向けにしなくても、
ドメインを新しいものにしてTwitterユーザーには教えない、という方向性もあります。
今回はTwitterの更新通知をリツイートされたことがそもそもの発端でした。
なので、Twitterとの連携を解除すれば少なくとも今回のような、
Twitterフォロワー周辺の「自分とは相容れない考えの人」を呼び込む危険性は減ります。

こんな感じで、「訪問者数を犠牲に、相容れない人の目に触れる数も減らそう」
という方向性がざっくりひとつのカテゴリとしてあります。

それとは別に、「誰が読んでも支障のないような記事を公開する」
という方向性もあります。理想的ではありますが、茨の道でもあります。
要するに「そもそも毒を吐くのをやめよう」ということですね。
これにもいくつかの段階があり、
「もう金輪際炎上の種になるような話題は一切書かない」という過激な意見もあれば、
「他者批判さえ書かなければいいんじゃないか」という意見もありえます。
そしてそれを達成するためには、ただ気をつけていればいいというのでは対策になりません。
具体的な対策としては、執筆環境を改革して、例えば批判的な文言を入力すると警告が出るとか、
記事が攻撃的かどうかを判断してもらうプログラムを作ってみるといった方向性がひとつ。

もうひとつは、そもそもメンタルが安定していれば攻撃的な記事は書かないという推測のもと、
メンタルの安定する環境でブログ執筆ができるように注力するという方向性があります。
たとえばカフェで書くとか。人目のあるカフェで批判的記事は心理的に書きづらいと思います。

それから、倫理・道徳・ネットモラルをもっと勉強して、
プログラムではなく頭の中で判断できるようになるという道もあります。
頭の中だけだと厳守できる自信がないので、
この場合は「ブログ執筆ガイドライン」なるものを作るという方向性もあり得ます。
ただ、そこまで頑張っても絶対に炎上しないという保証はありません。
結局、ネットで発言する以上はどんなに洗練しても叩かれうるというのは、
長年ネットに住んで思うところではあります。
「1割には何をしても嫌われる」というのは、かの名言にもある通りです。
なので、第三のカテゴリとして「叩かれ慣れる」というのもまぁナシとは言い切れません。

第四の選択肢でもっとも無難と思うのが、「毒を吐く場所を変える」ということ。
つまり、愚痴吐き、他者批判等をネットに書くからダメなのであって、
気心知れた友達との会話の中で第三者を叩くのは、誰でもやっていることです。
それなら、毒が残らないし、第三者に叩かれることも(友達が告げ口しないかぎり)ありえない。
何より声のコミュニケーションの方が文字コミュニケーションよりも発散しやすいです。
よりよいストレス解消にもなるでしょう。
ただ、それによって知人から見た自分の評価が下がる可能性は否めません。

とはいえ、常に愚痴吐き相手がいるともかぎりません。
そこで第四の選択肢のもうひとつの分岐として「匿名で書く」というのもなくはない。
いわゆる「裏アカ」ですね。ただ、これは表アカウントと違ってフォロワーが少ないので、
そもそもつぶやいたところで誰にも見てもらえない可能性が高いです。
裏アカだと相手にされないので、こうなると匿名掲示板の出番でしょうね。
また、裏アカは裏アカでもブログの裏アカなら満足できる可能性はあります。
実は、愚痴吐き用のサブブログの設立というのは数年前からずっと検討してきたことです。
これが、今度こそ必要な局面に来ているのかもしれない……。
むろん、匿名で書いたところで叩かれる可能性は変わりません。
それと似たような方向性としてもうひとつ、書くのは本家ブログだけど、
毒のある記事は全部非公開にするという手もあります。
ブログ全体を非公開にするのではなく、あくまで一部のみを非公開にする。
これはまあ無難な一手であるような気はします。
唯一の懸念は、毒が含まれていることに公開するまでに気づかなかったら終わりということですね。
今回がまさにそのパターンだったので、チェック機能をどうするかが大事になる気がします。

以上に挙げた対策を箇条書きにまとめるとこんな感じになります。

  1. 会員向けブログにする(ブログ全体に対してパスワードをかける)
  2. 完全に非公開にする
  3. 今まで通り公開するがTwitterに更新通知は流さない
  4. 批判記事に共通するNGワードを制定して、執筆中にそれを入力すると警告が出るようにする
  5. 攻撃的かどうかを判断するプログラムを作成する(AIの感情分析など)
  6. カフェなど外出先で執筆する
  7. ネットモラルを再勉強して「ブログ執筆ガイドライン」を策定する
  8. 相容れない意見は必ずあるものと受け入れてこれまで通り運営する
  9. 批判的な考えはネットではなくリアル知人に対してのみ発言する
  10. 批判的な考えは匿名掲示板等に書く
  11. 批判的な考えはサブブログに書く
  12. 批判的な考えはこれまで通りブログに書くが、すべて非公開にする

この中で有望そうな案を挙げるとしたら、⑥⑦⑨⑫と次点で④⑤ですね。
つまり、なるべくカフェ等外出先で書くことも視野に入れ、ガイドラインを策定し、
嫌なことがあったらまず知り合いに話し、批判記事は非公開にする。
そしてゆくゆくは、執筆中リアルタイムに記事が攻撃的かどうかを判断できるようにすれば、
非公開にするかどうかの指針を客観的に判断することができます。

ただ残る問題として「ある人には知ってほしいけど、別のある人には知ってほしくない」
というような情報を発信する場合。
これはもう、確実に「知ってほしい人」しか見ない場で公開するしかないのでしょう。
そういう情報を公開するには、鍵なしのTwitterアカウントやブログは不適切ということです。
このことはもういい加減に自覚しないといけない。

いずれにしても、このブログは「このままでは危険」かつ「改革が必要」というのは、
今回誹謗中傷を受けて強く感じたところです。
今まで誹謗中傷を受けなかったのは自分が正しいことを言っていたからでは決してなく、
ただ単に読んでいる人が少なくて、それに対して意見を言う人はもっと少なかったからなのでしょう。
読み直してみれば間違いだらけかもしれません。

特設サイトも佳境という昨今ですが、
ブログもターニングポイントに差し掛かっているのかもしれません。
そしてそれを、痛い目に遭わなければ気づけないというのは実に愚かなことです。
ブログも日々淡々と書くだけではなく、意識的に改善していくようにしないとなぁ……。
そこまでの余力を生み出せるかは別にして。

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