#6159

ネット社会の歩き方


備忘録

小木曽健『大人を黙らせるインターネットの歩き方』(ちくまプリマー新書、2017年)
を読みました。

インターネット世代ではない現在の親世代と、
いわゆるデジタルネイティブ世代と呼ばれる現在の若者世代との間に確実に存在する、
「ネットの使い方」に対する考え方の相違。
親世代はネット=危ないものと思い込み、子どもにネットの利用を制限しようとしてきます。
いわく、「ネットのせいで陰湿ないじめが起きる」「ネットの情報はウソばかり」などなど……。
本書は、そうしたネットに対する諸々の疑問を華麗に論破し、
「絶対に失敗しない正しいネットの使い方」をマスターするための情報が凝縮されています。

なお、今回は1周のみ1日で読み切ったのであらすじは割愛とします。
その代わり、本書の「急所」とも言える部分を抜き出してみます。

ネットの中だけの、特別なモラルなんてありません。それはただのモラルです(p.55)
現実世界で失敗しない人なら、ネットでも失敗しないから大丈夫ですよ(p.123)

まず目から鱗だったのがこれ。よく「ネットモラル」って言うじゃないですか。
でも著者は、そんなものは存在しないと断言します。
確かに検索してみても、ネットモラルについて詳しく書いた本ってなかなか見つからない。
ネットでしか通用しない「モラル」って一体なんだ?
それは結局、現実と同じモラルなんじゃないか、ということです。
現実でモラルを知らない人が、ネットモラルを守れるはずがない。
逆を言えば、現実でモラルを十分知っていれば、ネットが初めてでも問題なく使えるんです。

「ネットは所詮道具であり、それは使う人次第で凶器にもなる」。
例えば自転車も、乗り方を知らない人がいきなり乗ったらひっくり返ってしまいます。
それと同じで、ネットも使い方を知らないと失敗してしまう「道具」なんです。
そしてネットはまだ生まれてからそれほど時間が経っていませんし、
日々更新されて使い方が変わっていきます。本当の意味で使い方を知っている人は皆無であり、
だからこそ、車に乗るときに事故らないように気を付けて運転するのと同じように、
ネットでも事故の危険性を十分考慮して使うべきなのです。
絶対に事故らないと思って車を運転しているような人は、免許証を持つ資格はありません。
ネットも同じことが言えます。

「日常でやっていいことはネットでもOK。そして日常でやらないことはネットでもやらない。
みっともないし人生が吹き飛ぶから」(p.168)

著者は、ネットは怖いからとビクビクしているのでは不十分で、
「絶対にネットで失敗しない方法」を身に付けなければいけないと断言します。
その方法がこれ。つまり、ネットとは日常(現実世界)と同じものである。
「ネットはネット、現実は現実」と切り分けて
あたかもネットを虚構の世界のように考えるから良くないのであって、
ネットはあくまでも日常の続きであるということを心得るべきだというのです。
ネットで接する相手は、別に現実で関わる人と何ら変わらない生身の人間だし、
ネット上のモラル、礼儀、マナー、文化なども現実と変わりません。

東京都の渋谷駅前スクランブル交差点を思い浮かべてみてください。
毎日何十万、何百万という人が行き来するそのど真ん中で、
自分の個人情報が書かれたボードを持って10分間、立ち続けることはできますか?
そんな恐ろしいことはできないと思うのが人情というものですが、
実はネットはスクランブル交差点よりももっとたくさんの人が見うるものであり、
しかも10分どころか一度掲示したら二度と消せないものなのです。
「その情報は、個人情報付きでスクランブル交差点に掲示できるか?」
掲示できなさそうなものは、ネットにアップするのはやめておきましょう。
この判断基準を持つことが、ネットで絶対に失敗しない方法です。
著者は、「自宅の玄関前に掲示できるものはネットに載せてもOK。そうでないものはダメ」
という基準も提示します。
あらゆる情報は個人情報がバレるリスクがつきものであり、
つまりネットというのは玄関の外に掲示するようなもの。
それを自覚すれば、そもそも危ない情報を玄関に掲示するようなことは誰もやらないだろう、
ということのようです。

世の中には「変態」や「犯罪者」や「変態の犯罪者」あるいは「気持ちに余裕のない人」
も存在していて、それらがネットを使っているという事実を著者は否定しません。
ネットに発信する情報は、彼らにも見られる可能性があることを心得るべきです。
よく、ネットを見ていると「余裕のない人が多い」「変な人が多い」という印象を受けますが、
これは、ネットユーザー全体の99.5%に当たる健全な人たちはいわば傍観者であり、
何も発信していないのに対して、残りの0.5%の変態たちは声高に主張することが多いからです。
そうすると表面上は主張している人の100%が余裕のない人たちになるわけです。
これが、ネットを見ているとみんなピリピリと殺伐としているように見えるカラクリです。

以上、ざっとまとめでした。
「ネットへの情報アップはスクランブル交差点に掲示するよりもよほどリスキーである」
というのは、薄々分かっていたことですが、自覚が足りなかったと反省しています。
著者は、ネットとは日常の一部でしかないと言っていますが、
最後に上げた変態、犯罪者、変態の犯罪者、気持ちに余裕のない人に関しては、
日常とネットで明確に異なる部分かなと思いました。

彼らのように日常生活で生きづらい人たちは、
現実では社会から淘汰されるため社会生活上関わることがあまりありません。
しかしそういう人もネットは使えるので、ネットでは関わることがしばしばあります。
そして彼らこそがノイジーマイノリティーになりやすいという構図が、ネットにはあります。
ここは現代のネット社会で特に気を付けなければならない部分かなと思います。
先日も東京都足立区議員が性的マイノリティに対する差別発言で炎上していましたが、
炎上させていたのは全体からするとごくごく一部であって、
ほとんどの人は「どうでもいい」「関心がない」「関わりたくない」と思っているのでしょう。
昨今のこういう事情を考えると、
「マイノリティには触れない方がいい」
というのは上記の著者のノウハウに加えて個人的に持っておきたい教訓です。

0

コメントを残す