斎藤孝『本当の「頭のよさ」ってなんだろう?』(誠文堂新光社、2019年)を読みました。
「頭が良い」というのはどういうことなのか?
自分も昔気になっていた命題です。
この命題を、『声に出して読みたい日本語』で有名な明治大学文学部教授の斉藤先生が、
まさに「頭の良し悪し」に振り回される中高生に向けて書かれたメッセージです。
本書は、エッセイの一種です。言葉に説得力はあるように見えますが科学的根拠はありません。
なので、「なぜ勉強をしなければならないのか」「なぜ学校に行かなければならないのか」
「なぜ本を読まなければならないのか」「なぜ受験を頑張らなければならないのか」
という、気になる命題は出てはきますが、
それらに対する回答は斉藤先生の個人的意見に留まっており、クリティカルな回答は読んでも得られません。
そういう意味では、本を読んだらむしろ疑問点が増えてしまったとも言えます。
とはいえ、「頭がよいとはどういうことなのか?」に対する回答らしきものはありました。
* * *
本書においては、頭の良さは状態の一種であり、誰もが頭の良い状態になることもあれば、
頭の悪い状態になることもあるとしています。
ここでの頭の良い状態というのは、感覚的には頭がスッキリとしている状態。
「どうしようもない」と思うのではなく、「こういうときはこうすればいいんだ」
と道筋を立てられることを頭がよい状態と定義します。
それを獲得するためには、判断力、誠意、行動力の3つを習得することが欠かせません。
そのうえで、斉藤先生は学歴は頭の良さとは直接的な関係はないと断言します。
それが通用するのはあくまでも学生時代だけで、社会に出ると学歴よりも「社会適応力」の方が求められます。
とはいえ、学歴はまったく無意味というわけではありません。
それはこの学歴社会において、個人の可能性の広さを反映したものであり、
何をやりたいのかがハッキリしていないのならなおさら、可能性は広く取っておくべきです。
真の頭の良さを獲得するのに必要なのは社会との共生ですが、それはひとりぼっちでは実践できません。
一人で何をすればいいのかわからないという人は、とにかく本を読みましょう。
知識を蓄えることで教養が広がり、自分の中に「多様性の森」を育てることができます。
勉強をする意味も、この「多様性の森」を育てることにあります。
これを育てることで、自分の中で考え方の多様性が広がります。
頭の中に一本しか木が生えていない人は、万が一それが腐ってしまったら果実を得ることはできなくなります。
しかし「森」を持っている人は、ひとつがダメでも他の選択肢を選ぶことができるようになります。
頭の良さとは、人を幸せにするために活かされるべきものであり、
その根底には好きなものに没頭する「情熱」がエネルギーになっていると斉藤先生は言います。
だから、他人の好きなものを否定してはいけません。それは端的に言えば暴力です。
他者を許容し、社会と共存する。そのために活かされるものこそが「頭の良さ」なのです。
* * *
久々に2周未満で軽く読み切りました。
ざっくり自分の印象で読んだかぎり、この本が言う「頭の良い人」の定義とは、
「多様な考え方を身に付け、
その中から現実に即して自分にとってのベストを選び抜ける能力を持つ人」
なのかなと思いました。
本文中で、誰もが頭の良い状態とそうでない状態があるという話がありますが、
読み進めていくと、結局教養は必要でそのための勉強も必要で、大学も行かなければ損だという話になります。
つまり、中卒と大卒で差が生まれることを著者は認めているわけです。
学校に行けなくてもいいみたいな話もありますが、
学校は他者の価値観を獲得するのに必須の学び舎であるという話もあって、
この文脈で考えると引きこもりは少なくとも相当に不利という話になります。
この辺は賛否両論ありそうなところです。
知識があったら自動的に「頭が良い」と言われるわけではない。
この点は自分も同意で、知識というツールをいかに現実に即して使えるかというのが、
以前ブログでも考察したときに至った結論でした(#5358『頭の善し悪しの再定義』2018年08月24日)。
本書ではさらに一歩進んで、「それは社会の役に立たなければならない」と言っています。
誰かの幸せのために使われる頭こそが「良い頭」なのだと。
「地頭が良い」も頭が良いと同義のように扱われる言葉ですが、
これを辞書で引くと次のように書いてあります。
大学などでの教育で与えられたのでない、その人本来の頭のよさ。
一般に知識の多寡でなく、論理的思考力やコミュニケーション能力などをいう。
(goo辞書 – デジタル大辞泉 2020年08月版)
やはりここでも「知識がある」≠「頭が良い」という図式は共通していますが、
一方で「論理的思考力」「コミュ力」がそのまま頭の良さに直結すると書かれています。
コミュ力に関しては、社会との調和を重んずる著者の考え方に通じるところもあります。
最終的に著者は「頭の良さ」の源泉は「情熱」にあると言っていて、
それは勉強じゃなくても、好きであればスポーツでもゲームでも芸術でもいいと言っていますが、
じゃあ「情熱」はどこから発生するのかという話には言及されていません。
困ったらとりあえず本を読めとは書いてあるけれど、それは多様性の森を育てるだけで、
肝心な果実の使い方については依然として闇の中なんですよね。そこがちょっと気になる。
結論としては、社会人が読んでもしょうがない、などと書くと身も蓋もないですが、
タイトルに期待していることが書かれているような奥深さはないので期待は禁物です。
強いて社会人がこの本から学ぶことがあるとすれば、
他人の考え、異文化を受け入れることが頭の良さに繋がっていく。
逆に言えば、異文化を一切受け入れない保守的な思考は頭を腐らせていってしまう。
そういう警鐘として受け取るのがいいのかなと思いました。