#6195

偏見について


空想

新執筆ガイドライン的にはびみょーなラインなんですが、
ついさっき出くわした出来事でどうも腑に落ちないと思ったので問題提起のために書いてみます。

今日はついでに勉強もしたいと思ったので、夕食はマックで済ませることにしました。
最寄り駅のマックには、自分が勝手に「VIP席」と呼んでいる、
他の席とちょっと離れている席が2席あります。
今日はその片方の席でやたら大きな声でしゃべっている人がいたので、
なるべくVIP席から遠いところに座ろうと思ったのですが、VIP席付近以外はあいにくの満席。
仕方がないのでVIP席の近くに座って、もしどうしてもうるさかったらイヤホンをしよう、
と思ってグラコロセットを食べていました。

どうもそのうるさい人は日本語を喋らないので、もしやと思って見てみるとやっぱり黒人。
少なくとも日本語でも英語でもない言語で、なにやら大声でしゃべっています。
まぁ、この時点で迷惑なわけですが、ここからどんどんはた迷惑な事実が出てくるわけです。
自分が食べ終わって勉強していると、突然「ドタッ」という大きな音がしたので、
VIP席の方を見ると例の黒人が床に倒れている。
で、隣に座っていた人が「大丈夫ですか、大丈夫ですか」と肩を叩いている。
え、日本語で敬語ってことは……。知人だから隣に座っていたんじゃなくて、まさかの赤の他人!?
ということは、あのうるさい声は全部一人言だったのか!?

その黒人はしばらくして起き上がり、その後はずっと突っ伏して寝ていました。
死んだように起き上がらないので、また隣の人が声をかけるのですが、応答無し。
しばらくすると店員さんがやってきて、同じように声をかけていたのですが、
そこで店員から思わぬ一言が飛び出しました。
「お客さん、ここお酒飲むところじゃないんで、お酒やめてもらえますか」

つまり、この黒人はマックの一角を占拠してずっと飲んだくれていたと。
しかも、大声で一人言を話すくらい泥酔するほどに。日本人ならまずありえないマナー違反です。
昼間からストゼロ片手にぶらつくおじいちゃんも、まさかマックを占拠しようとは思わないでしょう。
まぁ、そういう日本人がいる可能性もゼロではないですが。

と、こういう話を書くと、
「ああお前は黒人嫌いなんだ。黒人差別だ」と思う人がいる人がいるかもしれません。
しかしそれはちょっと早計だと思います。

もちろん、自分はこの一件で黒人に対する偏見はかなり強化されました。
日本に住むおそらく貧困層の外人は日本のマナーを守れないことが多い……
そういう経験則を、今後の社会活動の防衛に役立てることは決して間違っていないと思います。
別に「嫌いだ」とは面と向かって言わないけれど、
個人的に価値観が合わないので距離を置こうと思ったその理由を書いたわけですね。
まあ、他者を否定することで自分の正当化をしている……と言われて否定はしませんが。
自分としては、「こういう人は自分とは違う価値観を持っている」
という話を書いただけのつもりなんですよね。人格は否定していません。
多少の批判を人格攻撃のように受け止めないでほしいということです。
(まだ出会ったことはないですが)良い黒人がいる可能性も捨てていません。

こういう「社会的弱者の一部がやらかした」系の案件を、
ネットモラル的にダメだから全部ダメ、なんていうガイドラインにしてしまうと、
自分とは違う価値観に関することがまったく書けなくなってしまうのではないか、
という危惧があります。そういう意味ではガイドラインも柔軟に作る必要がありそう。
言論の自由を振りかざすつもりはないですが、
ブログという個人メディアである以上はある程度好きに書かせてほしい。
もちろん、モラル違反がダメなのは重々わかってはいますが……。

こういう、昨今のネット特有の「息苦しさ」の正体ってなんなのだろう、
どうやったらそこから解放されて思う存分深呼吸できるのだろうと考えていたのですが、
どうやら今年以内には結論は出そうにありません。今後数年の課題になると思います。
弱者への批判に対する過剰な攻撃をどうすればいいのか、まだ皆目見当がつきません。
ただ自分がこの1年で得た教訓は、「弱者には正論を言ってはいけない」ですね。
人は正論を言われたときがもっともキレやすいそうです。
ロジハラという言葉が、その教訓の正当性を物語っていると思います。

ただ、それはそれとして、この場合マックの店員さんはどうすればよかったのでしょうか。
お酒を取り上げる? 警察を呼ぶ? むりやり店外に出す? 泥酔者は出禁にする?
また、それを見ていた傍観者たる自分たちはこの件で何を学べばいいのでしょうか。
在日黒人には変な奴がいる、という偏見を強化することは間違っているのか?
あるいは「在日黒人には変な奴もいるけどきっと良いやつもいるに違いない」
と存在しない「良い人」をでっち上げて思い込むのが正しいのか?
はたまた、脳内ブロックして「見なかったことにする」のが正しいのか?
最近だとSNSに晒し上げるという行為もよく見かけるけれど(この記事もその範疇?)、
果たしてそれは社会制裁の在り方として正しいのか間違っているのか?
わからないことだらけです。すごくモヤモヤする。
まぁ、こういう価値観の話は何が正しいという話でもないのでしょうが。
世間に決めてもらう前に、まずお前の正義はどれだよって話ですね。

だから自分は、自分の正義としてこの黒人を晒し上げることにしたわけですが、
それがガイドライン的に正しいのかというと、冒頭にも申し上げたとおりびみょーなラインです。
自分の正義があるということは、それに対立する意見が必ずあるということですからね。
自分一人に対して対立する意見を持った人は無数にいるわけで、彼らに攻撃されるリスクが常にある。
ネットに晒されるメディアではそれが怖い。でも自分の正義を発信できなくなるのは嫌だ。
うーん、困ったもんだ。
結局こういう記事を公開することを含めて、
個人ブログはどういう形で運営するのがベストなんでしょうか。

自分は「議論」が苦手なので、こういうことを誰かと話し合った経験が絶対的に不足しています。
アウトプット総量に対する価値観の交換の経験数が圧倒的に足りないので、
どうしても自分の意見に固執しがちで、そこは自分の弱みだと思っています。
かつて自分はネットコミュニケーションとリアルコミュニケーションは、
まったく対等ではないけれど、割と近いものがあると思っていました。
でも、実際には全然違いますね。この辺はテレワークで痛感しています。
価値観の交換は、やっぱり面と向かって話し合わないとできない。
短い文章のやりとりなんて、お互いに相手の偶像をでっち上げて分かった気になっているだけです。
そこそこの長文でやりとりして、やっと相互理解の端っこを掴むかもしれないという程度。

上に挙げたわからないことの一群は、社会との相互理解によって解消されると思うのですが、
自分という「個人」は「社会」と話すことはできません。
よって社会そのものと価値観の交換をすることはできません。
話すことができるとしたら、「他人」という「個人」です。
社会的通念を理解することは難しいかもしれないけれど、他人との価値観の交換ならできる。

だから、この圧倒的モヤモヤは、誰かと腹割って話すことで多少の前進が期待できるのかもなと。
そしてその相手は基本的にネットに求めてはならず、多くの場合はリアルが相手になります。
ネットでもいいけど相当の文字数が必要なので、
長文慣れしている自分みたいな人間はともかく一般的なネットユーザーには過負荷かもしれません。
ともあれ社会を、道徳を、倫理を理解したかったらまずは他人と話すことが第一歩になるのかなと。
そのためにも日頃から会話能力は磨いておいて、
人間関係は大事にしないと偏屈になってしまいかねないというわけです。

まぁ、話がかなり飛躍しましたが、
まとめると道徳のような価値観の問題に関しては自分一人だけの一面的な意見はときとして脆く、
それを克服するためにはやはり他人と価値観を交換する必要があり、
そのためにはいろいろな人とできればリアルで話すのが望ましいのかも、という話でした。

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