#6303

自己欺瞞について


空想

昨日の深夜から今日にかけてのアクセス数がJetPackベースで5倍近くになっていて驚いています。
その内訳は把握していませんが、
おそらく昨日の“独り言”に書かれていることが気になった人が多いのではないかと推察しています。
あんなネガティブなタイトルで非公開記事にしたら誰だって気になりますよね。
「もしかして自分がディスられているのではないか」と不安になった方もいるかもしれません。
昨日の記事によって心の平穏が崩された無関係な方がいらっしゃったら謝ります。すみません。

昨日の記事に関してはパスワードが分かる人、すなわちリアル知人に関してしか言及していません。
今回はSNSのフォロワーさん、ないし過去にトラブルがあったネット上の人は一切関係ありません。
それだけは断言しておきます。まぁ、そうは言っても気になるでしょうけど……。

このブログはある意味自分の心の内面を赤裸々に書き続けていくことに価値があると思っているので、
都合の悪い部分を意図的に隠すというのはコンセプトに反することではあります。
しかし、去年の反省にもあるように公開することによって不必要に悪印象を与えたり、
あるいは対人トラブルの種になることもあり得るので、
それへの最低限の予防策として、「これは万人向けじゃないな」と思った記事に関しては、
こうして非公開記事にすることによって対応することにしています。
今回は、自分の対人関係の考え方についてかなり闇深な部分を露出したので、
これを誰彼構わず公開してしまうと、自分に対して強く失望する人がいるのではないか、
という懸念から非公開とすることを決めました。
それ以外に非公開にした理由はありませんし、誰もディスっていません。
なんなら終始自分で自分を殴っています。まあリストカットみたいなものですね。

しかし、そうした知的な自傷行為(?)によって得たものは大きいと思うので、
その収穫についてはこの一般記事で共有しておきたいと思います。

先の“独り言”では、タイトルの通り自己欺瞞についての考察を行いました。
「自己欺瞞」の一般的な定義とは若干かけ離れているかもしれませんが、
当記事では「自分が他者にとって良い行動をしていないと自覚していながらも、
なおもその行動をやめられない状態

を指しています。
(参考:『自分の小さな「箱」から脱出する方法』、#5844『他人との接し方』2019年12月20日
自己欺瞞によって何が起こるのかというと、社会(他人)との断絶です。
早い話が、自己欺瞞に陥っていると友達がどんどん減っていく。人に信用されなくなっていく。

では、なぜそんな状況に陥ってしまうのか。
一言で言えばコミュニケーションの断絶が悲しいすれ違いを生むという話なのですが、
細かく分けると次のようなプロセスに分かれると思います。

①まず自分自身の努力不足があります。
自分の地位や立場によって課せられた社会の義務をきちんと果たしていないと、
客観的にも明らかな評価によって、自分の努力不足を晒されてしまいます。
たとえば、学校であれば成績。社会であれば年収など。

それによって、②劣等感を生じます。
自分と比べて他者はおそらく立派で、社会に求められていることをきちんとこなしている。
それに比べて自分はダメな存在なんだということを否応なしに考えさせられます。
そうすると自分は他者に見下されているのだという信念を得るに至ります。

しかし、人は自分だけは正しいと思いたい生きもので、
自分は正義だという思案はある種の防衛本能として働きます。
自分がやってきたことは間違っていない。
なぜなら、仮に間違っていたらいまの自分も間違っていることになってしまうから。
「いまの自分」の存在を肯定するためには、自分のやってきたことは正しくなければなりません。
しかし、それは自分を否定する他者と相容れません。
そこで、③自分を見下していると思われる他者を、悪者として扱うようになります。
そうすれば自分を正当化できるわけです。

結果として、自分の中では他者は悪者としての地位を確立します。
そうしておけば、とりあえず自分が否定されることはありません。
しかしそうなると、本物の他者と相対したときに困ることになります。
自分の中では彼のイメージは悪者なのに、実は圧倒的に正しく強者であったら、
ここまでに積み重ねてきたイメージというのは崩れ去り、
それはすなわち自己を否定することになってしまいます。
なので、④コミュニケーションを断絶することによって、現実から目を背けるようになります。

これらが積み重なると、他者からの好意的かもしれない声がけにも合理的に対応できなくなります。
自分に都合の悪い推測をしたり、そういった思い込みを優先してしまうようになります。
そういう状況のことを、昨日の記事では自己欺瞞に陥っていると表現しました。
そして自己欺瞞の原因としては、
①にあるとおりやるべきことをやるべきときにやってこなかった自分自身に帰結し、
それを後悔する感情すなわち自己否定感こそが原因なのだという結論に至りました。

これは自分の個人的な自尊心による価値観なので、
こういう思考プロセスを読んで納得してくれる人は少ないのかもしれません。
「学校で落ちぶれていたからといって、卒業後も長く続く友達ができないわけじゃないだろう」
と言われればその通りです。反証の余地はいくらでもあると思います。
これは、何をもって「努力不足」と見なすかによっても変わってくると思います。
働いていればそれで上出来という人もいるでしょうし、
高学歴高収入じゃないと許されないという人もいるでしょう。
その比較対象は、これまでに見てきた「他人」の平均的なイメージに基づいて作られると思います。

そして他人というのは一枚岩ではありません。
当たり前すぎてなんのこっちゃと思われるかもしれませんが、
たとえば家族だったり、仕事仲間だったり、同窓生だったり、ネット上の知り合いだったりと、
自分の周りにはいろいろなグループが存在します。
平均的な他者のイメージはそのグループごとに作られます。

そしてこれは大事なことなのですが、
あるグループに対して自己欺瞞に陥ったとしても、
別のグループに対してはまったくそうはならないということが往々にしてあります。
つまり、自己欺瞞というのはある他者グループにしか通用しない思い込みなんですね。
これも昨日の記事に書きましたが、社会人になって以降出会った人とは自分は普通に接していますし、
自分の中の彼らのイメージが悪者に落ちぶれてしまうこともありません。
それは自分が社会人としてやるべきことを一応やっているからだと思います。

一方、今回の相手はぶっちゃけていうと17年前のクラスメイトなのですが、
彼らの場合は、都合が悪いことにそのうち1人だけとは連絡が続いていて、
そしてその1人が、「君とは違って僕たちはこんなに社会生活上手くいってるよ」
みたいなことをほのめかす連絡をたまに一方的に送ってきていたので、
「これは見下されているな」という思い込みを不必要に強化していた部分もあると思います。
1人だけじゃなくて数人と関係が続いていたらこうはならなかったかもしれません。

では、自己欺瞞に陥らないためにはどうすればいいのか。
それは、自分がでっちあげた空想上の他人ではなく、しっかりと生身の他人と接することです。
上記プロセスの④まで進行してからコミュニケーションを取ることはなかなか難しいので、
できれば早い段階で話し合うことが望ましいですね。
昨今の情報化社会では簡単にブロックとかミュートとかで機械的に関係を切れますが、
それをしてしまうとますます自己欺瞞の泥沼に陥って修復不可能になってしまいます。
逆に言えば、たぶんしっかりと話し合えばたいていの人間関係って上手くいくんですよ。
人を嫌うというのは、未熟なコミュニケーションしかできない人が、疎通を諦める代わりに
「自分の中で勝手にでっちあげた他人像」を嫌っているだけなのではないでしょうか。
意思疎通・相互理解した上で生身の他人そのものを嫌うっていうのは、けっこう難しい気がする。
もちろん利害関係とか音楽性の違い(?)とかによって嫌うこともあるかもしれませんけど。

まあそういうわけなので、今回の件はリアル知人との間柄の話であって、
それ以外の人には関係ないし、
自分は少なくともそれ以外の人に対して自己欺瞞を感じることはありません。
これだけは強調して書いておきたいと思います。
流れない水は腐ると言いますが、人との関係もたまには意思の疎通をしておかないと
お互い頭の中にでっちあげた相手のイメージが取り返しつかなくなるという教訓ですね、これは。
特に努力が苦手でステータスが平均以下の大多数の人は気をつけておいた方がいいと思います。
エリートはこんな悩みも無いのでしょう。うらやましいかぎりです。

そして一番気になっているのは、
こういう自分の思考回路が世間的に見てどれくらい「面倒くさい人間」なんだろうなと。
自己欺瞞に陥るというのは人としてダメなことなのでしょうか。
それとも心理学的には誰でも起こりうることなんでしょうか。
その辺をジャッジしてくれる人がいないので、自分は方向性の修正ができません。
日々思考回路をこうしてブログに公開してメンテナンスして、
自分としては少しずつ改善の方向に向かっていると信じていましたが、
この手のトラブルがここ4年くらいで連続しているのもれっきとした事実なんですよね……。
それがたまたまなのか、この思考回路のせいなのか、相手のせいなのかはわかりません。
2017年以前もいろいろあったけれど忘れているだけという可能性もあるし、
何もこういうことで悩んでいるのが自分だけともかぎりません。
ただ一方で、たしかに思いやりなどの自分の価値観がアップデートしたことによって、
無意識的に相手にもその価値観を求めるようにはなってしまっていたかもとは思います。
もし自分だけが特別に「面倒くさい人間」であると分かったらきっとショックを受けると思います。
仮にそうなったら立ち直る自信はありません。まぁそれをジャッジする相手にもよりますけど。
嫌いな人(自己欺瞞の対象)にお前は面倒くさいと言われてもたぶんノーダメージだとは思います。

果たしてこの世には自分を理解してくれる人というのは存在するのでしょうか。
もし存在するとしたらいろいろと教えを請いたいものです。

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