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意欲の正体


空想

先日、ネット記事か何かをきっかけに
「一緒に楽しむ他人がいない趣味は長続きしないよね」という話になり、
なるほど確かにそうかもと思いました。

自分の中でこの傾向が顕著なのは音ゲーです。
五鍵時代からやっているという話はさておき、自分は2011年にアーケードデビューしました。
それは当時の友人も音ゲーを好きだったというのが非常に大きくて、
まさしく切磋琢磨しながら音ゲーにのめりこんでいきました。
ところが2013年に卒業して離れ離れになったとたん、ゲーセンには行かなくなりました。
いちおう『beatmania IIDX』シリーズだけは1年ほど余韻がありましたが、
SP九段の壁に阻まれてしまうと、それを一人で乗り越えるモチベはもうありませんでした。
その後も惰性で各タイトル10クレずつくらいは遊んでいますが、
がっつり遊ぶというようなことはもうありません。

これは音ゲーにかぎらず、いろんなジャンルの隆盛と衰退にもぴったり当てはまります。
2015年以前のコンシューマーゲームや2013年以前のスマホゲームは、
身内と共有するという大義名分があったからこそハマっていたところもあると思います。
2012年以降のソーシャルゲームは、ギルドに所属したタイトルだけは長続きしました。
2021年現在『Apex Legends』にハマっているのも、固定メンバーがいるのが非常に大きいです。

他人とは関係なく個人的な好奇心や興味関心で何かに打ち込むこともあります。
自分の例だと先月初頭の『Minecraft』なんかはそのパターン。
ただこのパターンはなかなか長続きしません。
かつて誰かと共有してハマっていた思い出を懐かしんで、
それを一人で楽しむこともありますが、やっぱり一人だとあんまり面白くない。
だから、自分が興味を持ったものを他人に紹介して他人を巻き込むことで、
一大ムーブメントにするという手法を取ることもあります。
もちろん自分は面白くても共有相手にとってはイマイチということもあり得るので、
その辺はお互いの価値観が合うタイトルを試行錯誤して探していく感じになります。
まぁ、自分が好きなタイトルでなくても、共有すればだいたい面白いんですけどね。

2020年は意欲の問題に悩んでいましたが、
それは結局一人暮らしスタートと新型コロナウイルスの影響で
孤独時間が多くなったことが多分に影響しているのかなと改めて思いました。
一人で興味を持ったことが長続きしないのはある意味当たり前であり
(この「当たり前」に該当しない人はすごいと思う)、
それは別に体力不足とか意欲不足とか精神の問題のせいではなかったのではないかと。
だからそれを解決することを望むなら他人との交流を持つための行動をすべきであって、
実際に2021年現在はゲーム面ではそれが実践できていると感じています。
あとは、これを『Apex Legends』にかぎらずさまざまなタイトルで実践できるといいですね。
あわよくば、ゲーム以外のこと(勉強とか)も共有できるとベストかな。
SNSは本音や思想を書きなぐる場所としては不適当だと思いますが、
誰かと興味関心を共有するためのツールとしては有望だと思います。
だから、自分も興味を持ったことはもっと積極的に発信してみてもいいのかもしれない。

こうなると結局意欲というのは承認欲求のことだったのか、となっちゃうんですけどね。
自分はそれをいまのところ否定できません。人によっては違うのかもしれないけれど。
自分個人としては、あらゆることは「誰かに認められたい」という欲求がまずあって、
それに基づいて行動している節があると思います。
アドラーに言わせれば「だからお前は不自由なんだ」という話になるのですが、
でもこれを乗り越えるのって果たして可能なのか? と思ってしまいます。
むしろ、承認欲求を利用して行動のエネルギーにしたほうが有用なのでは? とも。

でも別に他人というのは自分の承認欲求を満たすためにある存在ではないので、
そこはうまくwin-winの関係を構築できる工夫をしたいですね。
注意したいのがギブアンドテイクの精神を持っていると、
「自分がこれだけ与えたのに自分がこれだけ与えられないのはおかしい!」
という不満を抱きがちなんですよね。
頑張っても認めてくれないのは他人が悪い、みたいな考え方もそれに似ているでしょうか。
でもそんなのは自分だけの価値観なので他人がどうこうする範疇ではないし、
そういうわがまま思考に陥らないようにしたいですが、
まあこれは理想論にすぎないので実践できるようになるのはまだまだ先かなと。

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