#6398

意欲の四段階


空想

すっごい当たり前のことかもしれないけれど、大事かもしれないこと。
何らかの意欲が湧いたときにそれを実行するプロセスには、

受け取る(Receive)→やりたい(Want)→できる(Can)→やる(Do)

という4つの段階があるように思います。

「受け取る」というのは、そのタスクを認知する、受託するという意味です。要はきっかけですね。
この段階をちゃんとひとつずつ踏んでいかないと、ものごとはうまく行かないことが多い気がします。
特に多いのが、やりたいと思ったけれど、それができるかどうかが考慮されないまま
実行に移そうとしてしまうようなパターン。
いざ、実際にやろうとすると「思っていたより面倒くさいな」と感じ、投げ出しがちです。
いわゆる「思い立ったが吉日」で勢いだけで行動した場合もそうです。
最初は実際にできるかもしれないけれど、ちゃんと完成することはあまりない。
同様に、「やりたい」という意識をないがしろにしても、あんまりうまく行かない気がします。
他人から物事を頼まれ自分はできると思うから引き受けてみたが、
いざやってみたら「思っていたより面倒くさいな」と感じてしまうとか。

自分は確かにそれをやりたいんだという主体的意識があり、
なおかつそれを成し遂げるまでの道筋に必要なスキルはすべて持っていると確信している。
それらが両立した状態こそが、しっかりと筋の通った「意欲」と言えるのではないでしょうか。
そしてそれらがしっかりと描かれていないと、
現実でそれを実行している自分の意欲はどこかで迷走したり、あるいは挫折したりしてしまう。
これは「すべてのものは二度作られる」という『七つの習慣』にある格言の通り、
下書きがしっかりできていないと、ちゃんとした線は引けないということです。

計画において、何をやりたいのかを再確認するだけならそんなに難しくないんですよ。
ただ、自分が確実に「できる」ようにそれを再構築するのは、意外と難しい。
ついつい高望みして「これくらいならできないと困る」といった感じで
自分が自分に無理難題を振るような形で理想ありきの計画になりがちです。
かといって徹底的に「できる」重視ではそれもそれで面白くない。
それは「やりたい」という主体的意識がないがしろにされてしまっていると言えます。
この辺のバランス感覚は何年やっても難しいです。

ただ最近気付いたのは、
計画上のタスクが「やりたい」「できる」のいずれかに寄り過ぎているというのは、
紙に落とし込んで冷静に観察すると結構分かることもあるということ。
計画では「やりたい」に寄ることがほとんどだと思います。
そしてここでちゃんと道筋を立てないと、実際に「やる」段階になってから下方修正することが多い。
どちらか寄りになっていることに気づければ、それは軌道修正の余地があります。
いままでは、それにまったく気づかないまま実行しようとして、
結局できない自分に失望していました。

「やりたい」に寄り過ぎるというのは、つまり抽象的すぎるということです。
それを細分化してプロセスを具体的に思い描けば、「できる」も少しずつ伸びていきます。
それを怠らないことが大事なんじゃないかなと改めて思う今日この頃です。

自分は、たぶん「やりたい」と思う欲望については問題なく備わっていると思っています。
好奇心も向上心もそれなりにある方なのではないかと。
ただ、それを「できる」に落とし込むのが苦手なため、空想だけで満足してしまいがちでした。
空想することに慣れると、もはや何かをできる自分は置いていかれてしまいます。
それでは生きている意味がありません。
せっかく何かをやりたいと思ったなら、せめて何ができるかを検討する癖を付けたいものです。
その上で、別に実際にやるまでもないなと思えばそれはそれでいいとして、
もしも実際にやってみようと思えたならば、そこから世界が広がっていくかもしれない。

空想だけでは一歩も前に進まないということを改めて肝に銘じていきたいと思います。

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