#6416

興味の遺伝子


空想

日曜日は作業日報を書いてから寝ないといけないのですが、
意外と時間がかかってダルいので先にブログの方を済ませてしまいたいと思います。

ということで今日は通算9回目の、いまの会社の同僚と遊ぶ会を開催しました。
今回はとくに小手先の準備もなくいつも通りスマブラとドミニオンをやる流れ。
スマブラは、個人的にはもう数ヶ月触っていないにしてはまあまともに戦えました。
相変わらずカービィくらいしか使えませんが。
先日配信された新キャラのカズヤは使いませんでした。

ドミニオンといえば去年~今年の年末年始にイトコに圧倒的大差でボコられた記憶がありますが、
今回はずぶの素人同士なのでまともな戦いになりました。
ただ、今回でいよいよ付属のマニュアルに書いてある組み合わせは全部プレイしてしまったので、
ここから先は既存の組み合わせで遊ぶか、オリジナルの組み合わせを考えるか、
あるいは新規セットを買うということになります。
ドミニオンの知識が不足している以上は組み合わせを作るのは難しいと思うので、
プレイに新鮮味を持たせたいならやはり次回は拡張セットを買うのが無難かなと。
まぁ、次回と言ってもおそらく秋以降になると思うのでじっくり考えたいと思います。
欲を言えばスマブラでもドミニオンでもない、新しい何かを新規開拓したいところ。
一年以上も同じコンテンツだとさすがに飽きてきますからね……。

仕事の話もたっぷりしましたが、全体的な印象としては去年よりみんなモチベ低いなーという感じ。
公の場で他人の話をあれこれ詳しく書くのは憚れますが、
やはりコロナ禍が長期化していることで「いまだけの辛抱だから!」と説得されてきた人たちは、
そろそろスタミナ切れが見え隠れしているのかもと思いました。
その対象には、自分たち2019年冬~2020年春入社組がモロに当てはまります。
でも、医療現場なんてもっとひどいんじゃないかな。
それに比べると自分たちは「スキルアップできる案件が存在しない」というだけの問題なので、
まだまだ生ぬるいのかもしれませんが、
年齢を考えると後戻りできない闇に片足突っ込んでいる感はどうしてもあります。
もし、このまま業界が元通りにならなかったら
自分たちは一生研修レベルのエンジニアとして社会人を終えるのではないか……という。
しかし、だからといって焦燥感だけをエネルギーに走るのはもうそろそろ厳しい。
いったいこの先に救いの道はあるのでしょうか。
といっても、自分のチカラではどうにもならないですけどね。
いや、本当に本気で頑張れば意外とどうにかなるのか?

いずれにしろ、どこかで心機一転したい今日この頃です。
思えば04月頃からずっと同じような生活だし、そろそろステップアップしたいなぁ。
とはいえ、ステップアップしたいと思ったらステップアップできるほど世の中甘くありません。
そこに至るまでの道を具体化して客観視して細分化して、一歩ずつ踏み出す必要があります。
特に昨今の自分はいろいろなものへの興味関心が強くなっているのですが、
それに着手する前に次に目移りしてしまってなかなか定着の兆しがないという欠点があり、
この好奇心をコントロールする術はないものかと思案しています。
たぶん、そこで強力な武器になるのが他者承認なんでしょうね。
Aという趣味ならAというコミュニティに所属してしまえば、
否が応でもそれに向き合う時間は増えます。
仕事が日々同じようなルーチンワークでもへこたれないのは、
やっぱり他人の眼があるからなのではないかと自分は思います。
それくらい承認欲求というのは本来強力だと思うんですよね。諸刃の剣でもありますが。

自分は承認欲求への不信(他人への不信?)を経ていまに至るので、
ここでまた承認欲求に頼って何かをしようとするのがベターなのかと言われると微妙な気がします。
かといって独力で何かを成し遂げるにも限界があるわけで、非常に悩ましいです。
承認欲求(あるいはもっと普遍的な「意欲」)については
おそらく一生の課題になるので、もっともっと考えていきたいところ。

好奇心とスキルが交わるところに「挑戦」が存在すると仮定したとき、
自分は自分を没頭させることをコントロールすることはできるのでしょうか。
スキルは努力と経験の蓄積と納得することはできますが、
好奇心はいまのところコントロール不能のよくわからないものです。
ただ、情報収集がその入口になっている感はある。
あるものを知り、それと自分を結びつける連想的な概念になんらかの「愛着」を見出したとき、
それに対して深い興味を抱くのではないか……
そしてそれが既存のスキルによって「できる」ことを確信したとき、
それに対して「(新しい行動に)挑戦」しようとする能動的な意識が生まれるのではないか……。
自分の経験則では、そんなイメージがあります。

要は、情報収集によって得た「新しい何か」が自分にとって大切な何かに関連しているからこそ、
もっと知りたい、触れたい、自分のものにしたいと思うわけです。
だから、そもそも自分にとって大切な何かが無かったら、
新しい何かを好きにならないと思うんですよ。
そうやっていままで興味を持ってきたものも、
幼少期からの好奇心を連綿と受け継いできたのではないかと。
じゃあ、自分がこの世に生まれてから最初に好きになったものはなんなんだろう?
それはきっと、理性というよりもっと本能的なもののような気がします。

その理屈からすると、昨今の自分がいろいろなものに目移りしている理由もわかります。
年齢が重なったことで、好きな何かがまた好きな何かを見つけるという再生産が、
行動できる時間的・欲求的リソースを超えてしまったからではないでしょうか。
加えて、ITの進歩によって効率良く多くの情報を収集できることで、
完全にキャパシティオーバーに陥っているのではないかと。
好きなものが増えたからそれに関連するものも増えて、しかも入ってくる情報も増えるという。
そりゃあ捌ききれなくなって当然でしょう。

これは結構難しい問題のように思います。情報収集を減らせばいいというわけではない気がする。
むしろ、情報量ってあまり関係ないのかも?
それら情報と自分の中にある何かを関連付ける「線」にこそ改善の余地があるのかな?

まぁ抽象的なことをいくら考えても仕方がありませんが、
ともかく意欲に振り回されずにもう少し自律的に物事に取り組みたい今日この頃です。
ダラダラと書いていたらもう00時半になってしまった。
作業日報は明朝でいいか……。

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