人の行動は道徳や正義では測れないんだなと改めて思う出来事があったのでメモ。
自分は幼い頃、動物園かどこかでヒヨコの群れと遊んだことがあります。
それがどこなのか、何歳のときの体験なのかといった細かいことは一切覚えていないのですが、
そのときに覚えた強烈な感情だけがいまでも脳の片隅にこびりついています。
それは、「このヒヨコを握りつぶしてしまいたい」という衝動でした。
もちろん、それは実際に行動には移していません。
自分はこれまで、このことを他人に告白したことはありません。
どう考えても道徳に反する考えだと思ったからです。
自分はもしかしてすごく残虐な心の持ち主なんじゃないか、と思ったこともあります。
しかしときを経て2022年、ついにその感情を説明する言葉に出会いました。
このように、可愛いもの、人、動物などに対する上辺だけの攻撃的な衝動は、
「キュートアグレッション」と呼ばれ心理学の分野で研究されているそうです。
それによれば、人は対象を可愛いと感じるとドーパミンを放出するが、
それを攻撃的な感情と混同してしまうので対象を「壊してしまいたい」と思うのだとか。
アングラな同人界隈の、さらに闇の深いニッチなジャンルに「リョナ」というものがあります。
これはかわいい女の子(多くの場合中学生以下)に対して、
猟奇的な性的虐待や殺傷をするような漫画作品であり、自分はこれだけは理解できませんでした。
描いている人は社会不適合者で犯罪者予備軍の引きこもりなんだろうと見下していました。
とても「普通の人」には書けないと思うからです。
表現の自由とかなんとか言っているけれど、少なくとも青少年には絶対見せない仕組みが必要で、
一般公開したら逮捕できるような法律を作るべきなんじゃないかと思ったくらいです。
要するに、そんなのを描く行為は「悪」だろうと。
でも、ヒトはかわいいものを、かわいいからこそ破壊したくなる欲求を普遍的に備えている。
であれば、リョナも必ずしも悪とは言い切れない微妙さがあります。
もちろん表に出せば不愉快であることは間違いないので、
少なくとも他人の見えるところに出さないのは社会通念上当然求められるところですが、
リョナそれ自体は普遍的なヒトの欲求を描いている以上、善でも悪でもないのかもしれません。
DVや動物虐待などは絶対的に「悪」ですがそれは実際に行動しているからであって、
それを妄想したり、漫画に書き起こすこと自体は罪にならないと思います。
まあ、だからといって積極的に受け入れる義理もないし、
自分はこの文化に対してはアンチであり続けますけどね。だって気味悪いし。
Twitterのタイムラインがもっと無法地帯だったころはこの手の画像をアップする人もいましたが、
現在は徹底的にリムブロしたのでほとんど見ません。
このことから思うのは、ヒトの心理というのは思っている以上にバグだらけで不完全ということ。
かわいいと思うのに破壊衝動が生じるなんて、どう考えても合理的ではありません。
こういう誰もが持っているバグを不道徳だからといって「悪」と断言してしまったら、
極端な話、社会が立ち行かなくなるんじゃないかと思うわけです。
感情と正義は切り離して考えるべきなんでしょうが、それはなかなか容易なことではありません。
こう考えると、道徳って難しいなと改めて思います。