#6768

結婚式の加害性


空想

Twitterで「結婚式の加害性」というパワーワードが燃え盛っているそうです。発端は、
「友人を結婚式に呼んだとき、
もしもその友人が実は同性愛者で結婚できないことに思い悩んでいた場合、
結婚式に呼ぶことでその友人を傷つけることになりはしないか」という内容のツイートで、
それに対して別の人が、
「結婚式に呼ばれて死にたくなる人はいる。
(そういう人にとって)結婚式のような祝賀行事すべては原理的に加害性がある。
他人を傷つけたくないなら中止するしかないが、
それは不可能なので結局主催側は他人を傷つける覚悟を持つかどうかだ」
というようなことを述べたところ、大勢の人から
「いや結婚式に呼ばれて嫌なら欠席すればいいじゃん。バカなの?」とツッコまれている状況です。

この一連の炎上に対して個人的にすごい腑に落ちたのは、
「不幸な私に配慮してお前も不幸でいろという発想は、無差別殺傷を起こす犯罪者のそれと同じ」
という意見ですね。自己正当化に必死な弱者たちを一言で吹き飛ばす強い意見です。
結局のところ、弱者の自己都合を突き詰めるとそれは道徳の壁に突き当たるのではないか、
と改めて思う一件です。

とはいえ自分もどちらかというと弱者であり、あまり他人事と割り切れる立場でもありません。
特に結婚のくだりについては、
去年似たようなことがあって結果的にかつての知人と絶縁することになっているだけに、
自分の考えはどちらかというと炎上した当事者の意見に近いです。

近しい人の結婚を聞いて嫌な気持ちになる人がいるというのはある意味事実です。
これは何も結婚に限らず、自分がやりたいのにできていないことを他人が先に実現すると、
嫉妬の作用によって嫌な気持ちになることはあります。
嫉妬については興味深いのでこのブログでも何度か考察してきました。
なんで嫌な気持ちになるのかというと、個人的な推測では原因は2つあります。
まず、精神病質的な何かによって、
他人が主体の出来事を自分自身の損得勘定でしか評価できない心理状態になっているということ。
いわゆる自意識過剰というやつで、人間関係トラブルの諸悪の根源です。

もうひとつは、
「自分がやりたいのにできていない」ことに関する個人的な後ろめたさが浮き彫りになるからです。
つまり、自分もそれをやりたいと思っているが、実現するために努力してこなかった側面もある。
実現のためにやるべきことから目を逸らして、やらない自分を正当化してきたということです。
他人に先を越されたということは、そういった自分の至らない点を認めざるを得なくなる。
それが嫉妬という感情によって湧き上がってくるのではないかと。
もしも、実現に向かってしっかりとやるべきことをやっている人は、
他人に先を越されたとしても嫌な気持ちにはならないでしょう。競争じゃないんですから。
競争と捉えてしまう場合、それはそれで結局1つ目の原因に行き着きます。
他人の出来事を自分が勝ったか負けたかという価値観でしか捉えられていないということなので。
それは同性愛者であるかどうかとか関係ありません。
というか同性愛者も彼らなりにできるだけの活動をしているかぎり、
友人の結婚なんかで心を傷つけるとも思えませんけどね。
勝手な推測で可哀想扱いすることこそがマイノリティ差別なんじゃないかと思ったり。

ただ、じゃあ嫉妬に溺れるのはその人の心の弱さゆえですべては自己責任なのか、
というとそう言い切ってしまうのも早計です。
「結婚によって相手が傷つく」という程度の人間関係なのであれば、
相手も結婚を教える前の段階でこれを言ったらどう受け取られるかはある程度予見できるはずです。
社会人としての建前関係なく、結婚したことを言うかどうかが委ねられているのであれば、
相手がどう受け取るかを考慮して言う・言わないを適切に選択するべきです。
その際に相手を傷つけるために意図的に間違った選択をする人もいるわけで、
そういうケースでは嫉妬に溺れる側も被害者になりうるのかなと。

去年起きた自分と高校時代の同窓生とのトラブルを今回の件を加味して改めて考えてみると、
あれの本当の発端は、自分が本来は「結婚自慢によって傷つく程度の人間」であることを、
17年も親交があった人間に理解されていなかったことへの失望なんじゃないかと改めて思いました。
だとすればそれは他人の話を曲解して勝手に嫉妬している自分サイドに原因があるわけで、
彼を責めるのはお門違いなのかもしれません。
そもそも論ですが、「他人の成功で自分が傷つく」というのは、
裏を返せば「その他人よりも自分が先に成功するのが正しい」と信じているということであり、
それは「相手は自分よりも劣っている」と見下している側面もあるということなんですよね。
自分が高校クラスメイトの誰かが結婚したらしいという事実を彼を通して知ったとき、
自分よりも社会性スキルの低そうな人を勝手に想定して決めつけていたことは否めません。
あのときせめて、彼の口から誰が結婚したのか名前さえ教えてくれさえすれば、
「あ、なんだあの人か」と納得してこちらも冷静に対応できていたのかも。
まあ、自分の想定していたことが現実になってますます発狂していた可能性もあるか。

現段階で自分が嫉妬しそうな高校クラスメイトは頭の中に2人いるのですが、
そのどちらも、彼を通して社会生活がうまくいっておらず相当病んでいると聞いているので、
まあ普通に考えれば結婚しているとは思えません。他の誰かである可能性の方が高いでしょう。
他の誰かって言われても、顔と名前が一致する人は数人しか思い出せませんが……。
もしも例の2人がこの想定に反して社会生活がうまくいっていないのに結婚したのだとしたら、
それは自分の幸福観に反するのでこの記事とはまた別の文脈でそれを批判することでしょうが、
本当にそうなのか事実を知りようもないのでその機会も永遠に来ないでしょう。
社会生活もうまくいっていて結婚したのだとしたら、それはもう素直に賞賛するほかありません。

あと、この話の大前提として「自分も結婚したい」という目標があるはずですが、
生涯独身率4割というこの世の中でそれが本当に目指すに値する目標なのかは分かっていません。
この辺の自分なりの結論をしっかり出していないのがそもそもダメですね。
結婚すべきだと思うのならそれに向かって自分も尽力すべきだし、
しない方がいいと思うのならそう割り切れば嫉妬する必要もないわけで。
できるならしたい、できないならいいやという調子で意見が自立していないのが一番悪い気がする。

ともあれ、結婚観については近いうちに自分なりの結論を出したいところです。
ここ2年くらいが分かれ道のような気がする。
高校時代のクラスメイトについては……いつか謝らなければならない日が来るのかもしれない。
まあ向こうはそんなこと期待していないでしょうけど。
自己批判思考も年月が経たないと適切な答えが出せないなら意味がないよなあ……。
口論になったその場で結論を出せるくらい機転が効く脳みそが欲しいものです。

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