#6833

旅人は


独り言

上京して2年以上が経ち、いつの間にか年収は2倍以上になった。
まだ金銭的不自由から完全に抜け出したとは言い難いものの、収入面の不満はすっかり無くなった。
年代別平均収入も超えたので、この方面における劣等感はもうない。
数値目標としていくらでもより高みを目指すことはできるものの、
それは必ずしも達成しなくてはいけないというような目標ではなくなった。
こうして僕は、生き甲斐をひとつ失ってしまったのである。
人は、何かを欲しているのにそれを手に入れていないときにこそ原動力を得る。
いまの僕は満たされているからこそ、それに相当するものが存在しない。

これ以上を目指す理由が本当に無いのなら、残りの人生はもう大きく変わらないだろう。
40代も50代もいまと同じように仕事をして帰って寝て、たまに友達とゲームをして、
そんな日々を死ぬまで繰り返すのだろうか。
いまはそれで満足かもしれないが、果たして十年後も同じ気持ちでいられるだろうか。
もしそのとき何か不足を感じた場合、手遅れになっていないだろうか。
満たされているとかえって将来に対する不安を生じる。
そしてそれは、満たされているいまの自分にはどうにもならない。

そこで人は、自分が満たされているということを疑い、現状に対して粗探しをし、
少しでも穴があれば必死になってそれを塞ごうとする。
それを向上心と言うのかどうかは知らないが、
あたかも満足することは良くないことで、不足していることが良い状態だと言わんばかりだ。
でも、だからと言って単に目標を高く積み上げれば良いという話でもない。
年収で言えばそれは高くなるほど達成は困難になり、税金等の関係からコストパフォーマンスも悪い。
承認欲求にしろ社会的成功にしろ、目標は数値化すると際限がなくなってしまう。
欲求不満は生きることの原動力になる一方で、
そのゴールが抽象的であることは必ずしも良いとは言えない。

だから僕は、人生にとってちょうどいい目標を探している。
なんらかの根拠があり、目指すに値する説得力があり、頑張れば達成できそうな目標。
人としての成熟を目指すなら、小さな欠点を逐次埋めていくような生き方よりも、
人生を俯瞰した上で掲げられる目標に向かっていった方が有意義に思われる。
ただし、それが仮に妥当だとしても少し年齢的に気づくのが遅すぎた感は否めない。

いままでの若年時代の人生は、まるであてどなく放浪する旅のようなものだったと思う。
旅人は欲望の赴くままに、ただひたすら歩きたい方向に向かって歩いていた。
どこを目指しているのかは本人にもわからなかった。
でも、だからこそ未知の世界に対して欲望は尽きず歩き続けることができていた。
本当に人生を有意義なものにしたいのならば、これからは向かう方角にも根拠が欲しい。
自分がなぜこの方向を歩いているのかを説明できるような旅にしたいものだ。

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