#6853

認めることの共依存


空想

最近は異論も増えてきましたが、なんだかんだでこの国は豊かで恵まれていると思います。
そして、自分もどちらかといえば実生活は豊かな方だと思っています。
しかし、だからこそ取り留めもなく不足し続けている欲求があります。そう、承認欲求。
思えばブログ開設以来いろいろな欲求について考えてきましたが、
結局行き着くのはこの欲求との戦いです。
そして承認欲求を邪魔なものと考える時期も少なからずありました。
「自分ではどうにもならない『』という要素に左右される欲求に頼る生活は
不安定にならざるを得ない。ゆえに、なるべくそれに依存しない生活を送ることが望ましい」
というような考えです。

その考えを遂行するためには承認欲求の代わりとなるものが必要になります。
当時はそれを(他者承認ではなく)自己承認であると結論づけました。
つまり、他人からの承認に依存するのではなく、自分が満足することを目的とする。
要するに自己満足です。これが成立するならモチベーションの自給自足が可能になるわけで、
それはある意味での理想形だと思っていました。

しかし、現実はそうそううまくいきません。厳密に自己承認を他者承認の代替にするのは難しいです。
それは心の持ち方の問題なのか原因はよくわかっていませんが、
結局自分にとって他者承認というのは自己承認と比べるまでもなく強力な欲求なのだと思います。
だから自己承認という非力な欲求では代替にならないのではないかと。

現時点での自分は、承認欲求とは結局どこまでも向き合わなければならないという考えです。
自己満足でなんとかお茶を濁そうと思っていた時期もありましたが、
それは現在このブログが危機的な状況であることからも厳しい方策であることは間違いありません。
とはいえ、じゃあ不特定多数の他人から承認を得るためにがむしゃらに努力すればいい、
というわけでもないと思っています。

」は「」をコントロールできません。これは自明のことです。
コントロールできない「」に承認の可否を委ね、それを生活の基礎とするのは不安がある。
ではどうすれば承認欲求を安定供給することができるのか。
それはより多くの人目につくインフルエンサーになることというよりも、
むしろ承認してもらえる他人を厳選することがポイントになるのではないかと思いました。
」はコントロールできませんが、「他人を選ぶこと」は自分の意志で決められます。

他人の誰もが同じように自分を承認するとは限りません。
自分をよりよく承認してくれる人もいれば、頑として自分を認めようとしない人もいるわけです。
その前者をより大切にし、後者を切り捨てていくことは承認欲求を得るためには合理的だと思います。
それをあまりにも利己的な考えだと批判する人はいそうですが、
特に無責任な人もいるインターネット上の交流においては自衛のために大切な考え方だと思います。
もちろん、リアルの交友関係を同じように考えているわけではありませんが、
リアルでも多少なり利己的な都合によって
距離感を調節することは多くの人がしているのではないでしょうか。
得てして、わがままな人は遠ざけられがちです。

ここでさらに重要なのが、そうした利己的な振る舞いが他人にどう見えているかです。
上述の「わがまま」も、言ってみれば利己的な振る舞いの範疇であって、
承認してくれない人を切り捨てることと大して変わりありません。
つまり、積極的に合理的に他人を選別するような人は結果的に、
他人によるそれと同じ行動によって遠ざけられてしまいむしろ孤独に陥るのではないかと。
自分だけが特権的に嫌われない世界は存在しません。
自分が他人を切り捨てるならば、他人によって自分が切り捨てられる可能性も常にあります。

「自分を認めてくれない他者」に切り捨てられることは問題になりません。
なぜならそれは元々自分から切り捨てるべき他者だったからです。
ただ、自分を認めてくれる人に切り捨てられてしまうことだけは避けなければなりません。
そのためにはどうすればいいのか。
これも単純な話で、自分を認めてくれる人を自分も認めればいいわけです。
そうすればその関係はお互いに利点があることになり、切り捨てる必要性は薄くなります。
それがいわゆる信頼関係なのではないかと思っています。
それを少しずつ積み上げていくことが承認不安を取り除く一歩になるのではないでしょうか。

この考えは、SNSのフォロワー数ばかり見ていると見失いがちなんじゃないかと思います。
数字が多ければ多いほど偉いみたいな考えに陥ると、
自分を承認してくれない人とも無理に関係を続けようとして、相容れない考えに疲弊しがちです。
自分が先日Twitterで大量リムーブを決行したのはこの辺の考え方に基づいています。
リムーブしたのは、十年近くも前にお互いに数字を盛るためだけに相互フォローしたような人です。
彼らと訣別したのは、言うなれば十年前の自分の過ちを認めたからに他なりません。
彼らが悪だと思っているわけではないことは念を押しておきます。

結局、この考えが正しいかどうかについては微妙なところですけどね。
要するに「自分にとって都合の良い人とだけ付き合う」ということを正当化しているわけですが、
やっぱりちょっと利己的すぎる気がしなくもない。
だからと言って嫌な人と付き合うことが利他的で正しいかと言われるとそれも微妙のような……。
実社会だと家族や親戚、会社の同僚など社会的な要因によるつながりも少なからずあるわけで、
そういうつながりが必ずしも承認欲求を満たしあえる関係とは限らない。
だからといって安易に距離を取るのはちょっと違う気がします。
となると、やはりリアル社会ではこの考えは通用しない。
無責任な人が多いネット社会ならではの考え方なのかもしれません。

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