#4900

ひとりの話

先月の旅行を決行するにいたった際、自分の頭の中にわだかまっていたものを今鑑みると、 それは「自由であることの不自由な息苦しさ」と、 「すべてが満たされない何とも言えない寂しさ」の二つが 混ざり合っていたものだったように思う。 大型連休は会社に束縛される必要がない。 会社に束縛されない自宅で過ごす時間は「自由である」と感じるが、 実は本当の意味では自由ではない。 そこにあるのは「会社には来なくてもよい」という事実だけで、 僕ができることは、僕のできる範囲内の何かに制約されている。 その制約を、九連休なら飛び越  [続きを読む]

#4800

街路樹の話

何の変哲も無いある会社からの帰り道、 信号機を待っているとふと向かい側の歩道脇に植えられた街路樹に目が行った。 まだ冬に入る前の頃だったから、緑色の葉が風に揺れていたのをよく憶えている。 僕は信号を待つかたわら、それが当たり前に「在る」ことの不思議を考えた。 何故僕はそれを「緑色の」「街路樹」であると認識できるのだろう。 本当にそれはそこに在るのだろうか? 自分の勝手な解釈に過ぎないのではないだろうか? 例えば先天的な色覚異常を持っている人には「緑色の」何かには映らないかもしれない。 街路樹を植えるという文  [続きを読む]

#4767

否定する話

他人に対してストレスを感じるときというのは、 その他人に対して主張したいことが発生し、他人に対して伝える機会を逸したときにこそ起こる。 他人に主張したいことそのものはストレスの要因ではなくて、 他人に対して言いたいことがあるのに、なんらかの理由で伝えられなかったことこそが 憤りを感じる直接の要因になる。 例えばそれが「自分のコミュニケーション能力が無いせいで伝えられなかった」 と思えばストレスの矛先は自分自身に向かうし、 「自分の発言機会を阻まれたせいで伝えられなかった」と思えばその他人の評価を一方的に下げ  [続きを読む]

#4742

それぞれが歩み出す為に

今回の帰省で強く感じたことが二つある。 まずひとつは、祖父母から見た孫世代と祖父との間に大きな心理的な壁があるということ。 「祖父には孫世代の言い分は理解してもらえない」 という共通認識を確認し合うような三日間であったように思う。 去年末に自分と同世代の従姉が結婚したことがそもそものきっかけだった。 この三日間、同席した際に祖父からは「お前たちも早く相手を見つけなさい」しか聞いていない。 恒例の新年の挨拶は「俺も平均寿命まであと何年しかないんだから、 お前ら11人は早く相手を見つけること、まず年長から順番に  [続きを読む]

#4739

振り返った思い出 2016

一年はいつもこれから365日をどう在りたいかについて思案を巡らせるところから始まる。 抜けるような青い空の下、真っ白なゲレンデの頂上の上に立つ。 麓にはきっとあるべきものがあるのだと、期待と不安とを背負いながら滑り抜けていく。 一年は滑り出してしまえばもう取り返しがつかない。しかし軌道修正はできるはずである。 一年の滑り出しに大きな決心を必要とする場合、 滑っている最中に同じ決心を行動に換えるときに勇気というものが要る。 それを持ち合わせていないときに僕は常に、見えてくる麓が正しいと思い込むことで、 滑って  [続きを読む]

#4714

28

社会生活は学生生活と違って向こうから卒業年度を突き付けられるわけではない。 そのため、一年を超えるスパンで将来の自分を考えることにおいてさえも、 たいてい大きな決断力と行動力とを必要とする。 年齢という基準すら、周りに同世代がいなければ非常に曖昧なものになる。 だからここ近年は年齢に実力が伴わないことに対して日常的に思い悩むことは減った。 それゆえに、実際にこうして実年齢が繰り上がる日を迎えたとき、 自分がいかにして何も考えずに一年を過ごしてきてしまったかを突き付けられることとなった。 二十代前半の僕が「大  [続きを読む]

#4700

一方通行の話

一方通行の発言を好む人をよく見かける。 自分はこういう知識を持っているからそれを認めて欲しい、という欲求しか視界にない人たち。 彼らにとっては、コミュニケーションの相手に求めることは 素直にうんうんと聴いてくれることだけにあり、レスポンスなどは求めていない。 「それはむしろこうなのでは?」などと話の腰を折るような発言をするとみるからに機嫌を損ねるか、 聞き手が知りようのない、否定しようのない人物・事柄などを引っ張ってきて 「でもあの人も言っていたから本当だよ」と自分の論旨をゴリ押ししようとする。 自分は聞き  [続きを読む]

#4667

自分作りの話

例えば何かの試合で負けたとき。何らかの作業や仕事で失敗をしたとき。 心はすぐに逃げ場を探そうとする。 ここで負けても許してくれる場所についての情報を必死に頭で検索しようとする。 ところが大抵、それは見つからない。 すぐに見つかるような場合はそもそもここまで追い詰められないからだ。 見つからないと確信したとき、自分の心はすべてにおいて無防備になっている。 今、失敗しているその姿こそが自分の人生そのものであり、 目の前で自分を否定している者がまるで他人全体の代弁者であるかのような錯覚に陥る。 何故彼らは自分を受  [続きを読む]

#4615

未来へ

今日でこのブログも開設から丸12年を迎えた。 新しいルールを作ることを純粋に楽しめていたのはいつまでだったのだろう。 ブログ全体を振り返るたびに考えることである。 おおまかに印象だけで言えば、最初の六年間は慣習という名のルールを調整しながらも、 それに沿って楽しもうとする気概はあった。 震災後の六年間は、最初の六年で作り上げたルールに振り落とされないよう必死に走る日々だった。 それでも、過去の自分にできたことが今の自分にできなくなっていることを認めたくないからと、 過去の自分の作った土俵に上がって戦い続けて  [続きを読む]

#4566

目標について

そういえば一年も半分を過ぎて年初の年間目標はちっとも達成できてないな、 と思って元日のエントリーを読み返してみたら、 今年はそういえば資格取得やプログラミング言語習得といった 二段飛ばしの目標は設定していなかったんだった、と思い出しました。 もうそういう半ば無謀な年間目標を立てるのがここ十年くらいの慣例でしたからね。 何らかの資格取得を目標に立て、夏頃になって「どうせ勉強する暇無いな」と思うまでがテンプレ。 今までその類の目標を設定したのに行動できなかったのは、 要するにそれは願望にかかわらず「必要ではなか  [続きを読む]