#5832

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一端の大人になりたい、ならなければダメだ。 そう思い詰めていた二十代という年代をついに通り過ぎ、 もう自分はとっくに大人になっていたのだという事実を突き付けられる瞬間を通過した。 目の前に広がる景色は一変した。 そうだ、僕はもう大人になったのだった。 やっていることは大して変わっていない、立派になったわけでもない。でも、それでいい。 そもそも立派になることが子ども時代の目的であるというわけではなかったのだ。 ただ、自分という人間が他の誰かとは違う事情を持った何某かであり、 そうであるということを受け入れてな  [続きを読む]

#5820

新潟から

今思えば、大学院時代はなんて罪深いことをしたんだろうと思う。 当時の僕はあの二年間を振り返って、意外なくらいすがすがしく思っていた。 成長できたと思っていた。 それはまず何よりも、修士論文という最大のハードルを越えられたからだろう。 地獄のような修論執筆の日々の中で、 それまでネットにしか自己表現の相手がいなかった僕に、 リアルでやってきたことを認められることの嬉しさと、それに必要な努力量を教えてくれた。 そのこと自体は今でも良かったとは思っている。 しかし、今改めて思い返せば、あの2年間は就活に対する思い  [続きを読む]

#5800

趣味の話

趣味が無い。 ネガティブ思考の反芻に対して一定の対症療法を習得した自分が、次に直面したのはこの問題だった。 ようやく憂鬱のトンネルを抜けたと思ったら、そこは何も無い焼け野原だったのである。 思えば物心がついて以来、僕は何らかのモノに夢中になってきた。 それは未就学時代に出会ったゲームというプラットフォームに負うところが大きいが、 とにかく当時の僕は、それが自己肯定感の源であったり、 友達との縁を繋ぐためのツールであったり、あるいは自尊心の拠り所であったのである。 翻って、ゲームという趣味が衰退してきたからこ  [続きを読む]

#5733

風車は回り続ける

今日でこのブログを続けて15年が経った。 2004年09月01日、あの高校一年二学期始業式の日から、 実にさまざまな紆余曲折を経てここに至った。 一見何も変わらないようで変わり果てた周りの環境、そして自分自身。 それでもブログはいまだ変わることなく続いている。 何故やめないのか、何故続けていけるのか、そんな問答はもう飽きた。 これが自分にとっての人生の一部である以上、それは受け入れて当たり前のものだからだ。 しかし、こういった節目節目に差し掛かるといつも疑問に思うことがある。 「ブログを15年続けているとい  [続きを読む]

#5609

振り返った思い出 2019-a

短い平成の2019年が終わる。 新たな時代を迎える前に、これまでの4ヶ月間を精算しておきたい。 1月は年末年始旅行をきっかけに発症した風邪が悪化して、 体力的にも精神的にもどん底から始まった。それが徐々に回復するにつれて、 最初に出会ったのはネットフリックスで『日常』というアニメに8年ぶりに出会ったことだった。 ひとつのゲーム以外のコンテンツに夢中になったのは久々のことだった。 2月、匿名メッセージングアプリをきっかけに自己顕示欲が暴走し黒歴史を作ってしまうが、 翌3月はそのアプリを通じて数百人という人と交  [続きを読む]

#5608

平成という名の人生

僕が生まれてちょうど1ヶ月後に平成は始まった。 だから僕にとって平成とは、これまでの人生そのものである。 その人生そのものである平成が終わろうとしている今、改めてその30年間を振り返ってみたい。 平成元年当時、僕は埼玉に住んでいたらしい。 猫が好きで、灰色の大きな猫のぬいぐるみをよく持ち歩いていた。しかし記憶には残っていない。 平成2年頃、初めて日本海側に引っ越すことになる。 この当時の居住エリアを去年巡ってみたが、このときもやはり記憶には残っていない。 記憶に残っているのは平成3年頃からである。 坂道の多  [続きを読む]

#5604

僕が一人暮らしをする理由

僕はこのブログを通じて、これまで14年半以上の間にさまざまな悩みを書いてきたけれども、 敢えてここまで避け続けてきた、僕という人間の根本にかかわる問題がある。 今日はそれを書いていきたい。 それは、一言で言えば、家庭の失敗である。 僕の家はいびつな空間であり、僕はそのいびつな家の中で生きざるを得なかった。 人は、意識的にしろ無意識的にしろ、選択可能な最善を選んで自分の人生を歩んでいる。 しかしその選択肢というものは、他人に与えられるものに過ぎない。 僕はこれまで、自分は自分なりに ある種の必然性を持ってこれ  [続きを読む]

#5600

選択の話

極論を言えば、この世はたいてい思い通りになる。僕はそう信じている。 逆に言えば、思ってもみなかったことは現実にはならない。 「たいてい」と書いたのは、あらゆるイレギュラーがそれを阻害するからである。 イレギュラーの主たるものが「他人」である。他人は思い通りにならない。 「他人」によって進路を変えられたり、住む場所を変えられたりと 僕たちは自分で思っている以上に他人に人生を左右されている。 要するに自分の力ではどうにもならないことは思い通りにならない。 しかし、自分の力で何とかなるものについては、なんだかんだ  [続きを読む]

#5575

働くということ

人は何故働くのだろう。 働くということは「誰かに必要とされたい」という人が持つ巨大な欲求を満たすための所作であり、 お金をもらい、そしてその分自由に使うことができるという社会参加の根源を成している。 この世の中は、フタを開けるととてつもなく広い空間に、無数の歯車が回り続けている。 社会に参加するということはその歯車のひとつになるということであり、 それはどの歯車も唯一無二である。だから、働く人は誰もが必要とされている。 仕事のやり甲斐や、お金を得ることはその副産物に過ぎない。 しかしその副産物によって人は仕  [続きを読む]

#5542

失敗の話

退屈を嫌い、何か新しいことに勢いよく着手したくなったとき、 それは何らかのリスクを忘れている可能性があることを肝に銘じておきたい。 閉じこもって生きていると、自分が知っていることが世の中のすべてのように思えてくるけれど、 実際の世の中は自分が知っていることよりも、自分が知らないことの方が圧倒的に多い。 ふと、それを忘れたまま退屈な日常生活の殻を破って外に出たい欲求に駆られることがある。 すると、自分の知らなかったことが現実を予想外にねじ曲げ、 酷い仕打ちとなって自分に返ってくるのだ。 僕はこれまで、「黒歴史  [続きを読む]