#5600

選択の話

極論を言えば、この世はたいてい思い通りになる。僕はそう信じている。 逆に言えば、思ってもみなかったことは現実にはならない。 「たいてい」と書いたのは、あらゆるイレギュラーがそれを阻害するからである。 イレギュラーの主たるものが「他人」である。他人は思い通りにならない。 「他人」によって進路を変えられたり、住む場所を変えられたりと 僕たちは自分で思っている以上に他人に人生を左右されている。 要するに自分の力ではどうにもならないことは思い通りにならない。 しかし、自分の力で何とかなるものについては、なんだかんだ  [続きを読む]

#5575

働くということ

人は何故働くのだろう。 働くということは「誰かに必要とされたい」という人が持つ巨大な欲求を満たすための所作であり、 お金をもらい、そしてその分自由に使うことができるという社会参加の根源を成している。 この世の中は、フタを開けるととてつもなく広い空間に、無数の歯車が回り続けている。 社会に参加するということはその歯車のひとつになるということであり、 それはどの歯車も唯一無二である。だから、働く人は誰もが必要とされている。 仕事のやり甲斐や、お金を得ることはその副産物に過ぎない。 しかしその副産物によって人は仕  [続きを読む]

#5542

失敗の話

退屈を嫌い、何か新しいことに勢いよく着手したくなったとき、 それは何らかのリスクを忘れている可能性があることを肝に銘じておきたい。 閉じこもって生きていると、自分が知っていることが世の中のすべてのように思えてくるけれど、 実際の世の中は自分が知っていることよりも、自分が知らないことの方が圧倒的に多い。 ふと、それを忘れたまま退屈な日常生活の殻を破って外に出たい欲求に駆られることがある。 すると、自分の知らなかったことが現実を予想外にねじ曲げ、 酷い仕打ちとなって自分に返ってくるのだ。 僕はこれまで、「黒歴史  [続きを読む]

#5536

続・嫌う話

人を嫌うというプロセスについて、今時点の考えを一度整理しておきたい。 人に対して苛立つとき、嫌いだと思うときというのは、 概ね3つのパターンに分かれるような気がする。 まずひとつは、相手の行動が自分にとってタブーとしている物事を思い出させたときである。 自分が「これだけはやるまい」と信条にしている禁忌を、恥ずかしげもなく目の前で披露されたとき、 いつの間にかその人に対してイラッとする自分がいる。 いわゆる羞恥心というやつなのだろうか。これは加齢に従って緩和されてきた気がする。 もうひとつは、自分が相手に対し  [続きを読む]

#5500

生きる為に

もしもこれからも何も報われず、他人に愛されることもなく、そのための努力もできないのならば、 そんな人生には何の希望もないから、さっさと終わってほしい。 人は何故生きるのだろう、という疑問に答えようとするとき、 その「生きる」には概ね2つの意味があることに気が付く。 まずひとつは、人生に自分から意味を見出そうとする「生」である。自発的に生きようとする力。 それは、一言で言えば「欲」へと歩む自立した力である。 その「欲」の形や種類は、その人が歩んできた人生によって様々に姿を変える。 食べることが当たり前に満たさ  [続きを読む]

#5489

今年の抱負 2019

2019年。それは平成の終わりと新時代の幕開け、 そして「2010年代」という十年間に終止符を打ち、2020年へと向かっていくための一年である。 他のどの年にもないプレッシャーのようなものをひしひしと感じている。 ――2018年と比べてより良い年にしよう、などという単純比較はもう止めよう。 2019年を相対的に見るのではなく、絶対的なものとして見つめるところから始めたい。 未来は結局のところ、誰も知らない未開地を突き進んでいくようなものだ。 2018年のこの時期に失敗したからといって、失望する理由はどこにも  [続きを読む]

#5488

振り返った思い出 2018

一年を過ごすということは、旅をすることに似ている。 楽しくても苦しくても、それは平等に始まり、そして平等に終わっていく。 旅をする目的は、その旅ごとに異なる。 旅をすることそのものが目的である場合もあれば、 旅をすることによって得たい何かを求めてやまないこともある。 2018年の旅を振り返ってみると、今年は今までになく、 本意にしろ不本意にしろ、旅をすることそのものが目的だったように思われる。 今年は「白紙」から始めよう。 そんな元日の思いに、具体的にどういう意図があったのかは思い出せない。 前の年の続きの  [続きを読む]

#5464

30

「大人とは何か」という問いに悩み続けた十年間を越えて、 ついに大人になるとは何かということを考えているどころですらないステージに来てしまった。 ここからの十年間は、後戻りできない自分の人生そのものが始まる。 「いつか来る人生の本番の前にどうありたいか」などということを考えている余地はない。 本番はとっくに始まってしまっていたということを、納得していくしかないのだろう。 事態は切迫している。しかし選択肢が少ないというわけでもない。 20代の自分は、「大人とはこうあるべき」というステレオタイプに向かって、 劣等  [続きを読む]

#5400

思う話

もっと単純に考えてみよう。 人は思い通りになれば気持ちが晴れやかになり、思い通りにならなければ嫌な気持ちになる。 何故自分は満たされないのかとか、漠然とした日々に焦りを感じるだとか、 他人の言動にストレスを感じること、自分の不甲斐なさに苛立ちを感じること。 それらすべて、思い通りにならないことが感情を動かす根本的な原因と仮定したとき、 原因はさらにふたつに分解することができる。 思い通りにならないことに苛立つとき、それは必ず「思って」「行動している」プロセスがある。 ぼくはしばしば「行動」に対して原因を求め  [続きを読む]

#5366

昨日の想いを

二年前のぼくに言わせれば、このブログを存続させるということにおいて、 最初の六年間は楽しみながら慣習を作り、 次の六年間はそれに振り落とされまいと慣習にしがみつく期間だった。 そして慣習に振り落とされないために今までやってこなかったことをやろうと思い立ち、 様々な足踏みを繰り返してきたのが13・14年目だったように思われる。 ブログを続けること、それそのものが良いか悪いかなどということはもはやわからない。 ただ率直に言えば、七年目から14年目までのぼくはブログ運営を楽しんできたとは思いがたい。 楽しめないの  [続きを読む]