独り言一覧

NO IMAGE
#5142

この社会で生き残るために

この社会はやらなければならないことをやるだけで正しくなるのではない。 やってはいけないことをやらないことにも意識を行き届かせて初めて「大人」と認められる。 2017年は「案ずるより産むが易し」という言葉に従って、 とにかく後悔してもいいから行動してみて、その反省を自分の糧にしようという思いが強かった。 その結果、やろうと思えばできることに手を出して「やらなきゃ良かった」 と後悔することが例年と比べて突出して多かった。 「何も...

NO IMAGE
#5123

今年の抱負 2018

巨大な破裂音、そして割れんばかりの歓声と拍手。 ステージに立つその人の「あけましておめでとう」という汗まみれの叫び。 その瞬間になったとき、照明は一斉に観客席の方を向き、ぼくは真っ白になった。 そして光の中で「2018年をどうありたいか」という問いが自然と湧き出てきた。 そうだな、強いて言えば――白紙から始めたい。 去年できなかった何々を今年こそ成し遂げたい、去年はここまで出来たから来年はここまでやりたい、 そんな非現実的な...

NO IMAGE
#5122

振り返った思い出 2017

一年の節目というものが存在するわけではない。 在るのは、一年の節目に対して何かを見出したいと思っている自分が在るだけである。 それは期待や夢、あるいは不安や焦燥といったものと同じようなものなのかもしれない。 自分自身が大切だと思えばそれは大切なものになるし、 大切ではないと割り切ってしまえばその程度のものになる。 世の中を楽しいと思っている人の目に映る世の中は確かに楽しいが、 同様に世の中はつまらないと思っている人の目に映る世の中は...

NO IMAGE
#5100

独身の話

去年の今頃に同い年の従姉が結婚したことが契機となり、 2017年は自分にとって結婚するということはどういうことか、 について考えざるを得なくなった一年だった。そしてそれはこの一年では結実しなかった。 一年というスパンでは結論が出ないほど問題が山積しているし、 その山を崩すための意欲も圧倒的に不足している。 現時点では、自分自身が結婚しなければならない理由や 結婚することによって満たされるものが何なのかといった疑問を飲み込むことが...

NO IMAGE
#5099

29

大人になるとはどういうことか、という問いに対する答えを考えるにあたって、 一番最初から確かに存在していたにもかかわらず目を背け続けてきた答えがひとつある。 ――大人になるということは、自立するということだ。 表の反対が裏であるとは限らない。 他人が優れているからといってただちにそれが自分が劣っているということにはならないし、 あることができる人が賞賛されているからといってそれができない人が貶められているわけではない。 何...

NO IMAGE
#4979

興味のない話

コミュニケーション能力そのものについて思い悩んできたこの数年間の末に、 行き着いた答えがひとつある。 それは「コミュニケーション能力がない」と言っている人の多くは、他人に興味がないということだ。 より正確に言えば、その人が所属するコミュニティにおいて、 「所属する以上はここまでの範囲は興味を持って欲しい」という暗黙の了解を満たせないとき、 その人はそのコミュニティで「コミュニケーション能力がない」人になる。 だからあるコミュニテ...

NO IMAGE
#4922

否定を否定する話

最近何もかもうまくいっていない、と感じはじめたのはいつだっただろう。 あれから僕は「昨日の自分」を追い越したことがないかもしれない。 月日が経てば経つほど自分にとって手に負えない、どうしようもない問題のように思えるそれは、 例えば年齢だったり、置かれている境遇だったりといったものにいかにも原因があるように思える。 これらを解決して人生を謳歌している人はなんて崇高なんだろうと思える。 そんな風に「他人一般」を見上げるようになり、...

NO IMAGE
#4900

ひとりの話

先月の旅行を決行するにいたった際、自分の頭の中にわだかまっていたものを今鑑みると、 それは「自由であることの不自由な息苦しさ」と、 「すべてが満たされない何とも言えない寂しさ」の二つが 混ざり合っていたものだったように思う。 大型連休は会社に束縛される必要がない。 会社に束縛されない自宅で過ごす時間は「自由である」と感じるが、 実は本当の意味では自由ではない。 そこにあるのは「会社には来なくてもよい」という事実だけで、 ...

NO IMAGE
#4800

街路樹の話

何の変哲も無いある会社からの帰り道、 信号機を待っているとふと向かい側の歩道脇に植えられた街路樹に目が行った。 まだ冬に入る前の頃だったから、緑色の葉が風に揺れていたのをよく憶えている。 僕は信号を待つかたわら、それが当たり前に「在る」ことの不思議を考えた。 何故僕はそれを「緑色の」「街路樹」であると認識できるのだろう。 本当にそれはそこに在るのだろうか? 自分の勝手な解釈に過ぎないのではないだろうか? 例えば先天的な色覚...