#5400

思う話

もっと単純に考えてみよう。 人は思い通りになれば気持ちが晴れやかになり、思い通りにならなければ嫌な気持ちになる。 何故自分は満たされないのかとか、漠然とした日々に焦りを感じるだとか、 他人の言動にストレスを感じること、自分の不甲斐なさに苛立ちを感じること。 それらすべて、思い通りにならないことが感情を動かす根本的な原因と仮定したとき、 原因はさらにふたつに分解することができる。 思い通りにならないことに苛立つとき、それは必ず「思って」「行動している」プロセスがある。 ぼくはしばしば「行動」に対して原因を求め  [続きを読む]

#5366

昨日の想いを

二年前のぼくに言わせれば、このブログを存続させるということにおいて、 最初の六年間は楽しみながら慣習を作り、 次の六年間はそれに振り落とされまいと慣習にしがみつく期間だった。 そして慣習に振り落とされないために今までやってこなかったことをやろうと思い立ち、 様々な足踏みを繰り返してきたのが13・14年目だったように思われる。 ブログを続けること、それそのものが良いか悪いかなどということはもはやわからない。 ただ率直に言えば、七年目から14年目までのぼくはブログ運営を楽しんできたとは思いがたい。 楽しめないの  [続きを読む]

#5312

何もしない人の話

何もしない、ということはできない。 どんなにあらゆることに対するやる気がなくなったとしても、必ず何かを選択している。 横になるという選択。モニタの前で無意味な情報群を読むという選択。 限りなくできることがすくなくなるほどに意欲が失われてしまったとしても、必ず選択はしている。 他の意欲が失われてしまったからこそ目が行くものもある。 裏を返せば、どんなに状況が狭まったとしても選ばざるを得ないものはある。 それを受け入れてさえしまえば、「意欲がなくなったからすることがない」 などということに、頭を抱える必要はなく  [続きを読む]

#5304

努力できない人の話

ふと思ったこと。抽象的なこと。 努力はした方がいい、するべきだ、しないといけない、とまことしやかに言われる中で、 いかに努力をするべきか、なぜ自分は努力できないのかという悩みが生まれ、 そして努力できない自分は矮小な人間だ、などとも思うようになっていったけれども、 そもそも努力は何故しなければならないのだろう、と。 そして、「努力はできるならするべきだ」という観念には、少なからず、 それがあたかも苦しみを伴うことだという先入観が存在するのではないか、と。 努力は何のためにするのかといえば、それは他人のためで  [続きを読む]

#5300

未熟者の話

ぼくが修士論文の執筆と昼夜逆転に苦しんでいたとき、 まったく同じ境遇に立ち、その悩みについて吐露していたブログと出会ったことがある。 とにかく、書けない。次第に自制心が働かなくなり生活が徐々に崩れていく。 起きていなければならないときに眠くなり、眠るべき時間になると眠れない。 そんな状況で果たして修論を完成させられるのだろうか。 今からでもリタイアして、就職活動に専念すべきなのではないだろうか。 細かい文章の流れは覚えていないが、そのような内容だったと思う。 まるで自分のブログを読んでいるようだった。 その  [続きを読む]

#5282

かくれんぼ

どうしたんだろう。あまりにも無気力だ。 いや無気力であることはいつものことだ。ワクワクしたことなんてこの数年味わっていない。 それにしても今日はいつにも増して無気力だ。何もやる気が出てこない。 新しいことは当然のこと、こういうときの逃げ場として今までやってきたことさえやる気がない。 従来のことを維持しなければという気持ちもない。面倒くさい、とは少し違う。 やりたいことが何かを探そうとする、そのプロセス自体を何かに阻害されている。 ネガティブな語彙は何故こういう状況に陥ってこそ活発に頭の中を駆け巡るのだろう。  [続きを読む]

#5200

不安な話

ぼくはいま、焦っている。 年齢相応ではない自分に、そしてそれを何とかしようとする意欲のない自分に。 人生を目の前にして「何をしたら良いのかが分からない」という漠然とした不安がある。 思えば、ぼくは自分にとっての二十代はなにか、あるいは三十代は何をすべきなのか…… という、ロードマップのようなものを作ったことがなかった。空想したことさえなかった。 学校卒業までは、それは与えられて当然のものだったからだ。しかし、その先は? 今までのぼくの自己実現に対する価値観は「やりたいと思ったことをやる」という、 シンプルな  [続きを読む]

#5142

この社会で生き残るために

この社会はやらなければならないことをやるだけで正しくなるのではない。 やってはいけないことをやらないことにも意識を行き届かせて初めて「大人」と認められる。 2017年は「案ずるより産むが易し」という言葉に従って、 とにかく後悔してもいいから行動してみて、その反省を自分の糧にしようという思いが強かった。 その結果、やろうと思えばできることに手を出して「やらなきゃ良かった」 と後悔することが例年と比べて突出して多かった。 「何も言われないからといって許されているとは限らない」 というのは、去年一年間を経て僕が得  [続きを読む]

#5123

今年の抱負 2018

巨大な破裂音、そして割れんばかりの歓声と拍手。 ステージに立つその人の「あけましておめでとう」という汗まみれの叫び。 その瞬間になったとき、照明は一斉に観客席の方を向き、ぼくは真っ白になった。 そして光の中で「2018年をどうありたいか」という問いが自然と湧き出てきた。 そうだな、強いて言えば――白紙から始めたい。 去年できなかった何々を今年こそ成し遂げたい、去年はここまで出来たから来年はここまでやりたい、 そんな非現実的な目標を設定して後戻りできないところで現実味のなさに気付かされ、 目標がとげとげしい義  [続きを読む]

#5122

振り返った思い出 2017

一年の節目というものが存在するわけではない。 在るのは、一年の節目に対して何かを見出したいと思っている自分が在るだけである。 それは期待や夢、あるいは不安や焦燥といったものと同じようなものなのかもしれない。 自分自身が大切だと思えばそれは大切なものになるし、 大切ではないと割り切ってしまえばその程度のものになる。 世の中を楽しいと思っている人の目に映る世の中は確かに楽しいが、 同様に世の中はつまらないと思っている人の目に映る世の中は確かにつまらないものなのだろう。 僕は一年を越えるということに対する何某かの  [続きを読む]