#5536

続・嫌う話

人を嫌うというプロセスについて、今時点の考えを一度整理しておきたい。 人に対して苛立つとき、嫌いだと思うときというのは、 概ね3つのパターンに分かれるような気がする。 まずひとつは、相手の行動が自分にとってタブーとしている物事を思い出させたときである。 自分が「これだけはやるまい」と信条にしている禁忌を、恥ずかしげもなく目の前で披露されたとき、 いつの間にかその人に対してイラッとする自分がいる。 いわゆる羞恥心というやつなのだろうか。これは加齢に従って緩和されてきた気がする。 もうひとつは、自分が相手に対し  [続きを読む]

#5500

生きる為に

もしもこれからも何も報われず、他人に愛されることもなく、そのための努力もできないのならば、 そんな人生には何の希望もないから、さっさと終わってほしい。 人は何故生きるのだろう、という疑問に答えようとするとき、 その「生きる」には概ね2つの意味があることに気が付く。 まずひとつは、人生に自分から意味を見出そうとする「生」である。自発的に生きようとする力。 それは、一言で言えば「欲」へと歩む自立した力である。 その「欲」の形や種類は、その人が歩んできた人生によって様々に姿を変える。 食べることが当たり前に満たさ  [続きを読む]

#5489

今年の抱負 2019

2019年。それは平成の終わりと新時代の幕開け、 そして「2010年代」という十年間に終止符を打ち、2020年へと向かっていくための一年である。 他のどの年にもないプレッシャーのようなものをひしひしと感じている。 ――2018年と比べてより良い年にしよう、などという単純比較はもう止めよう。 2019年を相対的に見るのではなく、絶対的なものとして見つめるところから始めたい。 未来は結局のところ、誰も知らない未開地を突き進んでいくようなものだ。 2018年のこの時期に失敗したからといって、失望する理由はどこにも  [続きを読む]

#5488

振り返った思い出 2018

一年を過ごすということは、旅をすることに似ている。 楽しくても苦しくても、それは平等に始まり、そして平等に終わっていく。 旅をする目的は、その旅ごとに異なる。 旅をすることそのものが目的である場合もあれば、 旅をすることによって得たい何かを求めてやまないこともある。 2018年の旅を振り返ってみると、今年は今までになく、 本意にしろ不本意にしろ、旅をすることそのものが目的だったように思われる。 今年は「白紙」から始めよう。 そんな元日の思いに、具体的にどういう意図があったのかは思い出せない。 前の年の続きの  [続きを読む]

#5464

30

「大人とは何か」という問いに悩み続けた十年間を越えて、 ついに大人になるとは何かということを考えているどころですらないステージに来てしまった。 ここからの十年間は、後戻りできない自分の人生そのものが始まる。 「いつか来る人生の本番の前にどうありたいか」などということを考えている余地はない。 本番はとっくに始まってしまっていたということを、納得していくしかないのだろう。 事態は切迫している。しかし選択肢が少ないというわけでもない。 20代の自分は、「大人とはこうあるべき」というステレオタイプに向かって、 劣等  [続きを読む]

#5400

思う話

もっと単純に考えてみよう。 人は思い通りになれば気持ちが晴れやかになり、思い通りにならなければ嫌な気持ちになる。 何故自分は満たされないのかとか、漠然とした日々に焦りを感じるだとか、 他人の言動にストレスを感じること、自分の不甲斐なさに苛立ちを感じること。 それらすべて、思い通りにならないことが感情を動かす根本的な原因と仮定したとき、 原因はさらにふたつに分解することができる。 思い通りにならないことに苛立つとき、それは必ず「思って」「行動している」プロセスがある。 ぼくはしばしば「行動」に対して原因を求め  [続きを読む]

#5366

昨日の想いを

二年前のぼくに言わせれば、このブログを存続させるということにおいて、 最初の六年間は楽しみながら慣習を作り、 次の六年間はそれに振り落とされまいと慣習にしがみつく期間だった。 そして慣習に振り落とされないために今までやってこなかったことをやろうと思い立ち、 様々な足踏みを繰り返してきたのが13・14年目だったように思われる。 ブログを続けること、それそのものが良いか悪いかなどということはもはやわからない。 ただ率直に言えば、七年目から14年目までのぼくはブログ運営を楽しんできたとは思いがたい。 楽しめないの  [続きを読む]

#5312

何もしない人の話

何もしない、ということはできない。 どんなにあらゆることに対するやる気がなくなったとしても、必ず何かを選択している。 横になるという選択。モニタの前で無意味な情報群を読むという選択。 限りなくできることがすくなくなるほどに意欲が失われてしまったとしても、必ず選択はしている。 他の意欲が失われてしまったからこそ目が行くものもある。 裏を返せば、どんなに状況が狭まったとしても選ばざるを得ないものはある。 それを受け入れてさえしまえば、「意欲がなくなったからすることがない」 などということに、頭を抱える必要はなく  [続きを読む]

#5304

努力できない人の話

ふと思ったこと。抽象的なこと。 努力はした方がいい、するべきだ、しないといけない、とまことしやかに言われる中で、 いかに努力をするべきか、なぜ自分は努力できないのかという悩みが生まれ、 そして努力できない自分は矮小な人間だ、などとも思うようになっていったけれども、 そもそも努力は何故しなければならないのだろう、と。 そして、「努力はできるならするべきだ」という観念には、少なからず、 それがあたかも苦しみを伴うことだという先入観が存在するのではないか、と。 努力は何のためにするのかといえば、それは他人のためで  [続きを読む]

#5300

未熟者の話

ぼくが修士論文の執筆と昼夜逆転に苦しんでいたとき、 まったく同じ境遇に立ち、その悩みについて吐露していたブログと出会ったことがある。 とにかく、書けない。次第に自制心が働かなくなり生活が徐々に崩れていく。 起きていなければならないときに眠くなり、眠るべき時間になると眠れない。 そんな状況で果たして修論を完成させられるのだろうか。 今からでもリタイアして、就職活動に専念すべきなのではないだろうか。 細かい文章の流れは覚えていないが、そのような内容だったと思う。 まるで自分のブログを読んでいるようだった。 その  [続きを読む]